RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

京都マラソン2020 – 雨のなか、みやこ京都を走った

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数日前からの天気予報で、日曜日に雨が降るのはわかっていた。一時なのか時々なのかでずいぶん違うじゃないかと文句を言っていたら、けっきょく京都地方の予報は終日雨に変わってしまった。
 
そうなると遠征の荷物が増える。シューズは濡れるから替えが必要だし、折畳み傘も要る。ゴール後は着替えて徒歩20分超かかるホテルまで戻るから、合羽も用意しなければ。ほかにもちょっとずつバッグに詰めるものが増えた。背負っていくから、つまりけっこう重いのだ。
 
2月15日、自宅を出発する前からこころはどんよりと雨模様だった。
しかし、重くなったぼくの荷物のせいで遅延することもなく、ANA774便は軽快に空を駆け、定刻よりもすこし早く大阪空港に着陸した。
 
京都タワー下のマックで昼食のハンバーガーを買い、宿まで歩きながら食べる。いい歳をしてふだんはこんなお行儀の悪い食事はしないが、スケジュールの都合上やむを得ない。五条の「住亭」にチェックインした後は、バス停を探して南禅寺へ向かった。サスペンスドラマのロケで使われる水路閣など、見どころはたくさんある。土曜日なので観光客は多い。欧米客が目立つのは、新型コロナウィルスの影響で中国からの観光が減っているせいかと思われる。
 

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南禅寺 (クリックすると大きくなるよ/以下同)   水路閣
 
京都マラソン受付の「みやこめっせ」までは徒歩にて15分ほどだ。会場ではイベントなどもたくさん実施されていたが、できるだけ人ごみの中で長時間を過ごしたくはない。記念撮影をしてもらい早めに退散した。
 
今夜の宿は夕飯がないので、歩きがてら見つけたお好み焼きの店で食べた。外人さんがいっぱいいた。記録を狙ってるわけでもないし、制限時間は6時間あるからビールも一杯だけ飲む。明朝のおにぎりなどをコンビニで購入し、今夜の宿「住亭 清水五条」に戻った。昨年3月にオープンしたばかりなので、部屋は新しくキレイ。バスもトイレもピカピカ。和とモダンを追求した宿だ。さっそくツインベッドのひとつにウェア(例によって北海道コンサドーレ札幌・ユニ)を拡げて明日のゼッケンを取りつける。風呂に入ったら「もう寝なきゃ」な時間になっていた。
 
朝、目が覚めて外を見ると予報はみごとに外れカラッと晴れ‥‥ているワケはなく、京の町はしとしと濡れていた。昨夜のうちにほぼまとめていた荷物を背負い、まずは今日明日と泊まるホテルへ徒歩でまっすぐ向かう。フロントにバッグを預けてから阪急本線・河原町駅へ。西京極駅に停まる列車に乗車すると、あとはたくさんいるランナーになんとなくついて行けば、スタート会場にたどり着くことはできた。だが、たとえは悪いが会場はさながら難民キャンプにみえた。じっさいテントもたくさん並んでいるし、傘をさしている人が多いのでいきかいが困難なほどだ。雨の音と騒めきも加わり、たけびしスタジアム京都はカオスと化していた。
 
ぼくは申告記録が遅いので、補助競技場のGブロックだったが、後ろにはKブロックまであったと思う。スタート前には会場にいた全員で、東日本大地震の犠牲者への黙祷をささげた。走れることに感謝しよう。生きて健康でいるからこそのマラソンだ。雨がなんだ。
 
スタートのロスは7分ちょっとだった。念のためコロナウィルス対策でマスクをつけて走ったが10数キロまではつけていた。同じようなマスク姿のランナーはそれなりにたくさんいた。
 
雨だから沿道の応援は少ないんだろうなと思っていたがそんなに少なくはない。むしろ傘をさしての応援が申し訳ないほど大人数が列をなしている。ランナーの家族や関係者もいるだろうが、一般市民やマラソンのおかげで商売にならない店舗の方もきっとたくさんいるに違いない。さらに諸々の応援隊が趣向を凝らしてくれていた。「コンサドーレ頑張れ!」の最初の声援は競技場を出てから割と早かったが、そのあとはなかなか声がかからなかった。やはり参加者が多いし、透明とはいえポンチョを被っているので、赤黒や胸の白い恋人ロゴが分かりにくいのかもしれない。
 

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スタート会場                  仁和寺二王門前
 
光華女子学園前では、制服で並んだ女子高生の黄色い声援で序盤の力をもらった。京都外国語大前ではチアリーディング部のパフォーマンス、仁和寺二王門の階段上からは坊さん集団が横断幕を掲げ手を振ってくれ、祇園甲部の芸妓舞妓さんが正座(!)しての笛や太鼓での応援など京都らしさもうれしい。エイドの給食もバナナ・みかんはもちろん、都こんぶ、京風あんぱん、生八つ橋などを食べた。さらに疲れがたまってからは、紙コップでのたくさんイチゴ、ミニトマトは美味しかった。
中間点を過ぎると「白い恋人さん、がんばって!」「あ、コンサドーレ!」「サッポロだ!」などありがたい声援が増えてきた。もちろんできるだけ声援には応えた。
 
コースには賀茂川の土の河川敷もあるのだが、残念なことに雨の大会でこれはちょっと走りにくい。というか大半は歩いた。硬めの土なのだが、所によってはぐちゃぐちゃになっていた。ヌルっとしているし。記録狙いのランナーはアウトだろう。
 
が、しかし。
その河川敷の橋の下に、サッカーユニフォームの一団がいて「♪ コンサドーレコール」をいただいた。それぞれ応援しているチームのユニを着た7、8人ほどの集団だから、デザインとカラーはバラバラだが、そのぶんカラフル。関西のマラソン大会沿道で「サッカーユニフォーム姿のランナーさんをサッカー的に応援する」という奇特でありがたい企画を実施されているのだ。しかもその中にコンサドーレレプリカを着た方もいてびっくり。これは記念写真を撮らねば! と撮影をお願いすると快諾してくれた。(冒頭の写真/撮影してくれた方ありがとうございました)うれしい。へろへろのランだったが、ここで少し息を吹き返したのは本当だ。大会では、知り合いの応援も見知らぬ方の応援もそれぞれに力をいただける。
昨年は「熊本城マラソン2019」で、ロアッソ熊本サポーターの方にもチャントをいただいたし、お願いして一緒の写真も撮った。マラソンとサッカー応援はなにか通じるものがあるのかもしれない。
 
けっきょくその後も雨は降り続け、そのまま晴れる事はなかった。走っている間はまだいいのだが、ゴール後は体が冷たく寒かった。記録はネットで5時間30分をすこし切るくらいだった。昨年のランナー忘年会のコメントでは4時間半を目標と記したが、年末にまたギックリ腰を発症してしまい、叶わぬ目標となってしまった。
いただいた大判のタオルで頭や体を拭き、みやこめっせ館内で着替えをした。ホテルまで徒歩2km以上あるので、すべて着替えないと風邪をひいてしまう。
よろよろと30分ほど歩いて、ホテル浴場の温泉につかるとようやく生き返った気がした。
 
夜はふらふらと街に出て、ネットで調べて気になっていた「まゝや」で食べた。狭い路地の奥にあり、家族的な雰囲気の店だった。上品に甘い湯葉の卵とじ、油のよさが旨味の串カツ盛り合わせ、どでかいのに趙美味な揚げ出しトマトなどを、ビールとハイボールでいただいた。
そして宿にもどり、疲れ果てたカラダをベッドに投げだすと、すぐにしあわせな眠りについたのだった。
 

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二条城                     京都国立博物館
 
翌日は二条城や知恩院などをみて、帰札する日は京都国立博物館を見学した。どちらもまたぜひ来たいし、ほかにも観たいところはたくさんあったのだが、とても回りきれるものはない。ささっと見学できるわけがないのだ。
京都は二日や三日で観光できる町ではないことが、あらためて、よーく分かってしまった三泊四日の遠征だった。 おしまい。
 

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〈 追記 〉

そういえば、メダルと完走証。伝統工芸である京友禅の柄をプリントしたメダルリボンが素敵です。

2019年。痛かったこととか、嬉しかったこととか。

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年々、歳をとる。8月に65歳になったので、僕も正会員として高齢者の仲間入りをしたということだろう。ギブアップはしないけれど、残念ながらアタマもカラダもちょっとガタがきてるかなあと思うことは増えた。

 

アタマのほうは、記憶力の衰えが気になる。家庭内では、なにかを指摘されても「聞いてない」で済ませることが多いが、追加の説明をされると「そういえば聞いたか」となることもある。しかし向こうだって歳をとっているのだから「伝えたつもりだったが実は言ってなかった」こともあるはずだ。そこらへんは、労わりあわなければなあと思うのである。

仕事では「聞いてない」で済ませるわけにいかないので、忘れそうなこと忘れてはいけないことは、メモをとるなりTO DOリストを作成する。これは具体的に細かいところまで書かないといけない。かんたんな単語だけでは、あとで意味が分からないことが多々あるのだ。記憶の紐が綻びた糸のように細くなっているのである。

 

カラダのほうも深刻だ。

今のところ内臓系は大丈夫だが、足腰をはじめ骨・関節系がいけない。2004年くらいから、ときどき走ることが習慣になり今に至るのだけれど、膝の故障を何度もくりかえした。膝だけではなく、かかと、足首、すね、腿、股関節。そうやって下半身の不調を抱え、病院や整体、針治療などを施しながら、走れるときはずっと走ってきたが、ここ数年はギックリ腰に悩まされている。

 

今回も26日の朝に、ベッドのシーツを整えている際に発症した。なんでそんな作業でと思うかもしれないが、中腰での中途半端な姿勢ではそういうこともあるのだ。なんと昨年も御用お納めの前日、布団を敷いているときにやってしまい会社を休んでいる。けっきょく年末年始は一歩も外出できずに家で過ごしたのである。今回はすこし軽めだろうと思っているがどうなるか。もちろん発症いらい走ってはいない。歩くのもやっとなんだから走れるわけがない。今年は5月にも母を抱えて車椅子に移すときにギクッとやってしまった。もう持病的になっているので、ふだんの生活ではじゅうぶん気をつけているのだが、それでもやってしまうときはやってしまうのだ。

 

そういえば今年は1月下旬に左手小指の骨折もしていた。ランニング・イベントで走ったあとの飲み放題のような酒に深く酔ってしまい、帰宅後の布団にバターンと倒れこんだ際に折ったらしい。ポキッと折れたのではなくズレるような折れ方をしていたので、その際の痛みは深酒の中に紛れてしまったのかもしれない。詳細はわからない。折れているのを自覚したのは翌朝なのだから。整形外科で、とても難しい折れ方をしていると言われ、手の怪我の専門的な病院を紹介されたものの、けっきょく手術は断って添木固定による保存療法(?)とリハビリ療法を選択したから、小指はいまだ曲がったままで痛みもまだすこしある。

 

骨折から開催まで4週間もなかった2月の熊本城マラソンでは、完走はできたが固定ギプスをしたまま走ることになった。もしつまずいて転んだら大変なことになるなあと思いながら、修復中の熊本城を眺めて走ったことを思い出す。

 

8月の北海道マラソンは、5月下旬のギックリ腰の痛みがなんとか収まってから、そろりそろりとランニングを再開したので練習不足はあきらかだった。それでも完走できたのは、気温と湿度が例年になく低く走りやすかったからである。とはいえ、関門バーをこじ開けてのギリギリ完走なので大きなことはもちろん言えない。

 

ラン以外の話題では、グアムでの次男の結婚式(4月)が良かった。ハワイとかグアムとかには、まったく興味はなかったが、両家の家族が集まってのリゾート・ウェディングは素敵な思い出になった。次男と一緒に走ったグアムでの旅のランも忘れられない。

 

そして10月は、北海道コンサドーレ札幌が初めて決勝の舞台に立ったルヴァンカップさいたまスタジアムの熱闘は、いまだに血が湧き立つような興奮を呼び覚ます。東京で働いている長男を誘って一緒に観戦したが、カップ戦の歴史に残るあまりに激しく熱いゲームに二人で感動したものだ。You Tube などでその死闘を振り返るといまだにウルッとする。

 

ちなみにこのブログはいちおうランニング日記なので、今年のラン総走行距離も記しておく。1年で1072km、月平均は90kmにも満たなかった。ちょっと不本意だが、今日の日記を読めばたしょうは理解してもらえるだろうか。

 

そんなこんなで今年も大晦日。痛いことも苦しいこともあったが、嬉しいこと楽しいこともたくさんあった。来年もまたひとつ歳をとっていくわけだが、まずは腰を労わりつつ穏やかな一年を過ごしたいと思う。

ルヴァンカップ決勝とゴッホ展と旅のラン品川 その3

日曜日の朝は7時から走りに出た。 

長男の部屋は品川区南大井なので海が近い。なので、海の方向へ走ることにした。といっても東京湾まで出る時間はない。とりあえず「しながわ水族館」へと向かう。旅のランなので、ゆっくりキョロキョロときどき立ち止まるので、距離はさっぱり稼げないがそれでいいのだ。
しかしとにかく真っすぐな道が少なく、道路が札幌のように碁盤の目にはなっていない。中に入ると狭い道が多い。グーグルマップをときどき開きながらもなかなか最短距離ではいけない。散歩みたいなものだから、それでもまあいいんだけども。
しかも水族館の敷地内は規模の大きい工事中なのでフェンスが多く、そのため通路が迷路のようになっている。やむを得ないとはいえ景観を壊す重機類も散見されるので、気持ちのいい写真を撮れなかったのは残念である。もちろん営業時間外だから館内は入れないし。
 

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水族館敷地内にいた川鵜

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つぎに「大森ふるさとの浜辺公園」へと向かうことにした。「東京ガス大森グランド」のすぐ隣にあり、サラサラの砂で400メートルほどのきれいなビーチである。ちょっと海外のリゾート地っぽい感じもする。文字どおり浜辺で水遊び程度はできるが遊泳は禁止らしい。夏なら水着になって日光浴ができるし、大きなパラソル型の東屋がいくつも並んでいて、気持のいい日陰をつくってくれるのだろう。ビーチバレーコートやフットサル場や多目的スポーツ広場、レストハウスなども併設されていて一日遊べそうなエリアになっている。天気のよい日曜日の朝だからかもしれないが、走っている人はけっこう多い。もちろん僕も砂の上を走ってきた。ほどよく締まった砂なので、ランニングシューズで走っても気持よく走れた。
 

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だが、そんな暢気なことを言っている場合ではなかった。ふと時間を確かめると予定の時間を大幅に過ぎていた。8時15分くらいまでには戻ろうと思っていたのに、すでに8時を回ってしまっていた。ここまで4.4kmほど走ってきたが水族館敷地内ぶんを引くとたぶん帰りは4km弱。ゆっくりジョグしている場合ではない、すぐに戻らねばならない。しかし急いでいるときほど赤信号にはひっかかる。マンションに帰ったのは8時40分くらいだ。それから大急ぎでシャワーを浴び、髪にドライヤーをかけて乾かし、9時過ぎには荷物を背負って息子の部屋をあとにした。昨日のうちにリュックを整理しておいたのが功を奏した。とりあえず小走りで駅へ向かう。
 
僕は方向音痴なので、グーグルマップを見ていても方向が分からなくなることがある。おおむね方向は間違っていないはずだが、途中に交番があったのはたすかった。僕よりも強そうな婦警さんは、分かりやすく大森海岸駅への道順を教えてくれたのだった。京急蒲田駅で降りるところまではまだ良かった。ここから羽田空港国内線ターミナル行きに乗れれば問題はなかった。ところが、どこをどう間違ったのか自分でもよく分からないのだが、成田空港方向の電車に乗ってしまった。乗降ドアが閉まったときから何か嫌な予感がして、おもわず近くにいた若い男性に「これって羽田に行く?」と訊いてみた。するとかなり困った顔をして「あ、え、と・・・ぼ、ぼくは平和島で降りるので、よく分からないんですけど、すみません」とあらぬ方向を見て答えてくれた。たぶん、行かないのは知ってたはずだと思うが彼を責めても仕方がない。そもそもドア上の行き先表示が「成田空港」とあったし。
 
けっきょく元の京急蒲田までもどって、あらためて羽田へと向かったが、いくら焦っても待ち時間は僕を考慮してはくれないし、電車も定刻どおりにしか動かない。もし乗り遅れてもバリュー3だから払い戻しもダメなのかな。思わず財布を覗いたがキャッシュカードは入れてないし、現金は3万数千円しかない。万が一のときはこれでチケットは買えるのか。空港に着いたのはすでに10時だった。エア・ドゥ019便は10時15分である。保安検査場は20分前までに通過しなければならないからすでに5分オーバーだ。それでも一縷の望みをかけて検査場へと僕は走った。するとeチケットはとくに問題なく、そこは通過できたのである。必死の形相をしていたからだろうか。
 
それから搭乗口をさがす。近くの係員に訊いたほうへ走っていると、放送が入っていることに気づいた。詳しくは聞き取れなかったが、なんと僕が乗る便はどうも遅れているようなのだ。きっと日頃のおこないが良いおかげだろう。シャトルバスで機体のところまで乗っていくらしいので、いわゆる搭乗口はバスラウンジになるのだがその場所がよく分からなかった。奥のほうまで行ってコレは違うなと、慌ててもどりつつ近くにいた女性係員にたずねると、チケットを一目見てすぐにどこかへ連絡を入れ、スカートとパンプスを履いているというのに先導して走ってくれる。搭乗口の女性係員に僕のチケットを手渡すと、その女性もまた一緒に走ってくれた。まるで駅伝だなーとか思っていたが口には出さなかった。機体も変わり座席も変更になっていることは走りながら係員の方が教えてくれた。空港係員はたいへんだ。日ごろのランニングやエクササイズは欠かせないであろう。こんなアホがときどきいるばかりに。
 
とうぜんバスの最後の乗客は僕だった。申し訳ない。ちょっと遅れてしまった。バスは満席で立っている方もいた。
搭乗すると機内ではすでに多くの客が着席していた。僕の隣の席にも女性が座っている。リュックを上げて自分の席に座るとさらに汗が噴き出した。しまった。ハンカチは2枚ともリュックに入れていたのだった。そのためにまた立って隣の方を煩わせるのは気が引けた。仕方がないのでコサッシュにあったティッシュで額と首の汗を拭った。3枚しかなかった。着席中は汗臭さをすこしでも静めるように大人しくしていた。こんなことなら大急ぎで朝のシャワーを浴びても意味がなかったのではないか。そんなことはないか。朝ランの復路はふつうに走ってしっかり汗をかいていたのでシャワーなしはやっぱりだめだ。シートベルトランプが消えると飲み物のサービスがあったので、ジュースをいただいたあと、お茶もおかわりした。機内ではiPadでブログの下書きをしていた。
 
空の上で取りかえしたのか、新千歳空港には本来の到着時刻の5分遅れくらいで着いたようだ。お昼過ぎには空港のフードコートで、コーンをトッピングしたみそラーメンとクラッシック生を美味しくいただき、ツイッターにアップしたりした。旅の様子をブログにおこすときは、この場所でもタブレットを開くことが多いのだ。しかし、iPadを取り出そうとすると、それはどこにもなかった。リュックの底までちゃんと探したがない。そもそもリュックに入れたのか手で持っていたのかも憶えていない。今日はどんな日なのか、こんどはiPad紛失だ。だが、降りてからの行動を思いおこすとトイレに寄って、ラーメン店でみそラーメンと生ビール注文をして、席を確保しただけだ。つまりトイレに忘れたか、座席に忘れてきたかのどちらかだ。残りのビールをいっきに飲み干し案内所に行ってみると、飛行機の忘れ物は乗ってきた飛行機会社のカウンターに行ってくださいとのこと。そりゃ当たり前だ。エア・ドゥカウンターへと走る。
 
今日は一日走ってばかりだ。係員にチケットを見せて事情を話すとすぐに調べてくれ、間もなくその座席にそれと思われるものがあったとの返事。とりあえずほっとしてぬいぐるみのベアドゥと一緒に待っていると、019便のC.Aと思われるきれいな女性が僕のiPadを手にしてカウンターにきてくれた。それが僕のものである証明をしなければならないので、指紋認証でそれを起動させたのち、ありがとうとお礼を伝えた。
  

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とはいえ、どどどどどーっと疲れた。気持がへとへとへとだ。このままでは帰れない。ふたたびフードコートにもどる。あらためて生ビールをもう一杯注文した。あー、これは個人的な高齢化社会の危機であろうか、大丈夫か俺。
 
(おしまい)

ルヴァンカップ決勝とゴッホ展と旅のラン品川 その2

昨日の大雨が嘘のように、翌朝(10/26)の空はすっきりと晴れた。サッカー日和だ。

 

ルヴァンカップの決勝戦は、北海道コンサドーレ札幌川崎フロンターレ。札幌はそもそも決勝進出が初めてであり、川崎は4度目の決勝戦だが優勝はない。どちらが勝っても悲願のルヴァン・カップ初優勝である。ただし川崎はJ1リーグ戦を連覇しており、その他のカップ戦等のタイトルをとったこともある。札幌はそれらがない。昨年、ミシャが監督となりJ1で4位という過去最高の成績をおさめたが、J2とJ1を行ったり来たりするエレベータークラブと揶揄されていたクラブなのである。過去から現在までのチーム力は圧倒的に川崎が上ではある。とうぜん前評判も優勝確率は川崎7に対して札幌3くらいだったのではないだろうか。もちろん一発勝負の決勝戦だから何が起こるかは誰にも分からないし、それでも札幌サポーターは全員が優勝を信じていたはずである。

 

人生初すき家で息子と朝定食を食べ、スタジアムでの昼用サンドイッチなどを西友ストアで購入し電車に乗った。息子のチケットも用意してあるので一緒に観戦するのだ。彼はもちろん道産子だが東京で仕事をしている。サッカーにはさほど興味はないが親の強権で一緒の観戦とした。部屋を出るときから僕もレプリカ着用だったが、途中駅や乗換駅などで赤黒レプリカユニ姿のサポーターが少しずつだが乗りこんでくる。青いレプリカユニもどんどん増えてくる。浦和美園駅で降車すると他車両からもどっとサポーターが吐き出された。駅を出て徒歩でスタジアムへ向かう。道路は歩行者専用となっており美味しそうな屋台がずらっと並んでいる。道路脇には多くの幟が立ち、ルヴァン・カップ歴代優勝チームの装飾も施されており、両チームのサポーターが世紀の決戦を前に興奮を抑えきれない様子でぞくぞくと歩いている。赤黒と青が目に痛いほどである。

 

コンサドーレホームチームサイドで、バックスタンドスタジアム北側だ。僕らの席はSB指定席のセンター寄りで、しかもピッチに近いのに全体も見やすい良席だった。暖かい日差しもあり最適なコンディションのサッカー観戦である。メインスタンドの赤い階段と表彰ステージが鮮烈だ。あの舞台に融けこみながらもカップを掲げて立つ赤黒の選手たちが目に浮かぶ。生ビールがサッポロ・クラシックでないのは残念だが、天候に恵まれたおかげで美味しいビールがたくさん飲める。

 

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試合開始前からの両ゴール裏を中心とした大声援は、決勝という特別な空気の中でスタジアム全体を揺るがしていた。まるでラグビーワールドカップで見たオールブラックスのハカやサモアのシバタウのように、サポーター同士の意気を示す合戦の様相もあった。選手の練習もふだんの試合とは明らかに違う何かがあった。

 

そして試合開始の笛が鳴り想像を絶する激戦の幕が開くのだが、そのサッカーの試合展開をなぞり、適切に解説したり劇的に表現する力量は僕にはない。

先制点を奪ったのは札幌であり、それがユース出身の菅だったこと。前半も後半も得点の奪い合いになり、後半アディショナルタイム終了間際のラストプレーで得点した深井もユース出身である。福森のコーナーキックからの強烈なヘディングで奪ったものだった。どちらも道産子だ。

 

赤黒のコンサシャツを着てはじめは居心地悪そうにしていた息子も、得点とかチャンスの際や追いつかれたり追いついたりするする展開にはまり込み、そのたびに歓声や悲鳴をあげていた。会場のボルテージに興奮していたのは、決勝という独特な雰囲気がそうさせていたのだろう。

そして激戦は延長戦へと突入した。札幌は、川崎の谷口がレッドカードで退場して得たフリーキックで、福森が芸術的に直接ゴールネットを突き刺して先に得点する。これを守りきれば優勝カップをつかめたはずだったが、そうはいかなかった。延長後半にまたもや追いつかれ、けっきょくPK戦となり試合は3-3(PK4-5)での残念すぎる敗戦となってしまった。

 

こうして劇的な同点弾や最後のPK戦など一瞬たりとも目の離せない、本当に見ごたえのある一戦になったルヴァン・カップ決勝。負けたくないといった守備的な試合の入りだったり、相手のミス待ちといった消極的な決勝ではなかった。どちらも自らの良さである攻撃的な試合だったので、お互いの選手やサポーターの魂の一戦だったと思う。

先日のラグビーワールドカップで日本中をにわかファンにした日本代表の熱くて激しい試合に負けず劣らず、ルヴァン・カップ勝戦として歴史に残る試合といっていいのではないか。

 

記者が書いたもうすこしマシな記事はこちらで。

www.nikkansports.com

 

じつはビールを買うために売店の列に並んでいるとき、すぐ後ろの川崎サポーターと話す中で「僕が埼スタに来ると、勝ったことないんですよ〜」と言っていたので、コレはこの試合もらったな! と油断した僕のせいで負けたのかもしれない。あー、すみません。ごめんなさい。

 

戦い済んで日が暮れて。

僕らは都内にもどり、居酒屋で祝杯ならぬ惜杯をあげ涙を拭き、長い一日の幕を降ろした。そしてまた来年のこの日が来るようにと、夜空の星に願いながら家路についたのだった。

 

(たぶん怒濤の3日目へと続くはず)

ルヴァンカップ決勝とゴッホ展と旅のラン品川 その1

僕の趣味は走ることと本を読むことである。

あとは仕事をしている。寝ること食べること、ぼーっとしていることは別にして。
スポーツ観戦も数に入れていいが、ここ数年はサッカー中心だ。それも北海道コンサドーレ札幌の応援である。もともと地元にそのプロサッカーチームが誕生してから気にかけていたし、我が家の近くに練習場があったので、デリー・バルデスウーゴ・マラドーナも間近に見ていた。今はもう結婚もしている次男が就学前に一緒の写真を撮ってもらったこともある。この数年はシーズンシートを買っているので、ホームゲームはほぼ会場に足を運んでいる。しかしゴール裏での応援はしないし、アウエーの試合も行かないので、まあ緩いサポーターと言っていいのだろう。


その僕が初めてサッカー観戦で「遠征」することになった。マラソンでの遠征はたまにあるがコンサでは初である。数年前の天皇杯で勝ち進んだときに、もしかして決勝に行ったら元旦の決勝戦には国立にいくぞっと思ったものの負けてしまったことはあったが。
昨年はACLを逃したがJ1リーグ戦4位の快挙を成し遂げ、名将ペドロビッチことミシャが監督になって2年目の今季はルヴァン・カップの決勝に駒を進めたのである。ガンバ大阪との準決勝でホーム&アウエーの激戦を制したのだ。札幌ドームでその瞬間を見届けたとき僕は、決勝戦がおこなわれる埼玉スタジアムへ行こうと決めたのである。
ガチサポーターの思考として、個々の条件が許される限り埼スタ参戦以外の選択肢はないほどの大事件である。なにしろ、この緩いサポーターの僕でさえ即座に行こうと思ったのだから。だが、観戦チケットや航空券などを手配しなければならない。コレがけっこう大変だった。いちいち書かないけど、思うことはみな同じだったのである。決勝戦の前にサポーターのチケット争奪戦?になったのである。
けっきょく決勝当日の飛行機は取れず前日入りになった。ということは金曜日の仕事を休まねばならない。バレないように前倒しと先送りのスケジュールを組んだのは言うまでもない。

 

www.jleague.jp


金曜日(10/26)の関東地方が大雨の予報だったのは数日前から分かっていた。
千葉県など被害の出ている地域もあり申し訳ない気持ちもあったが、上野はそこまではひどくなくて大雨だけが降っていた。
せっかく予定外の休みを一日確保したので、上野の森美術館の「ゴッホ展」を観ることにしていた。ふだんは借りることのない音声案内を利用したのは、「いだてん」のりくちゃんこと杉咲花さんが案内してくれるからだった。優しい声に浮かれて、帰りにはファイルや絵はがきのほか、絵本「ぼくはビンセント・ファン・ゴッホ」まで買ってしまったじゃないか。

  

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 初期の作品があり、オランダのハーグ派や影響を受けたパリ印象派の作品などもあり、ゴッホも画風の変遷を経るのだが、やはり炎の画家ゴッホは、晩年の「糸杉」や「麦畑」の力強さが群を抜いていた。さらに僕の趣味で言えば、精神的に悪化して入所していたときに描いた「サン・レミ療養院の庭」も良かった。とても病んでいる人の作品とは思えない。泣きそうになるくらい艶々とした素晴らしさである。

 

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美術館を出てもまだ大雨だったし、お腹も空いたので遅いランチにする。大雨だから美術館至近のイタリアン・レストラン(Le quattro stagioni)でワインとパスタ。雨がなかなか止まないのでコーヒーの後もまたワイン。もうひとつ美術館か博物館に行こうと思っていたが、あまりに雨が激しいし、移動による雨びたしで靴が濡れることを考えると断念せざるを得なかった。なにしろ旅のラン前提のランニングシューズである。

しかしこの大雨によって関東や東北では被害も出ているのだ。この程度のことで不満を言ってはいけないのはもちろんである。

そうこうして遠征の初日は、仕事が終わった長男と大森で合流し、夕食をとってから南大井の彼の部屋に泊まったのだった。

(続く予定なんだが)

 

旅のラン せたな町 & 日本一参拝が危険な太田山神社

先日、仕事で道南のせたな町に行ってきたので、旅のランについて書いておきたい。
 
せたな町は、2005年に瀬棚郡瀬棚町と北檜山町、久遠郡大成町の3つの町が合併してできた。日本海に面した縦にながい町である。例によって一泊二日の出張だったから、時間をつくれた二日目の朝に走ってきた。
 
宿泊した北桧山地区にある旅館のおかみさんに、朝は何時から玄関があいているかを訊いたら、ずっとあいてるよとのこと。玄関はいつも閉めないらしい。地方によくある平和で寛容な町である。朝食は8時半までに食べ終わってほしいとリクエストがあったので、ランは6時半にスタートして約1時間走ることにした。念のため前夜のうちにアラームを設定しておいたが、やっぱりそれが鳴る前には目が覚めていた。
 
旅館の前の国道229号線を海の方向へと走った。瀬棚地区方面へ向かうもののこれといって写真に撮るものは少ない。2キロくらい走ると風力発電のプロペラ風車が並んで見えたので、それを写真におさめてUターンし、兜野橋をわたって後志利別川(しりべしとしべつがわ)の流れを眺めてきた。もどって今度は反対方向へ足を進め、昨夜入ったきたひやま温泉をまわってから宿に向かう。途中、町立北桧山小学校の生徒と思われるこどもが元気なあいさつを先にしてくれた。うれしい。走った距離はいつものように、時間に比べてみじかい6kmほどの旅のランとなった。
 

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 この日は、日本一参拝が危険な神社とも言われる太田山神社に登るのが予定に入っていたので、それについても記しておきたい。天気予報がはずれ雨模様となってしまったが、もしもすべって危険な状況であれば参拝を潔くあきらめ撤退することも想定していた。しかし登りはじめると、ヒヤヒヤしながらもけっきょく最後まで完登し参拝をしてきた。
 
道道に面した鳥居から天に向かって伸びる長ーい階段の平均斜度は45度、最大50度の傾斜。一段あたりの奥行は20cmほどなので足裏全部はのらない。なので、ここからすでに2本のロープが設置されているのである。登り切ると岩の多い狭い山道に入り、ロープがないときついし危険でもある登攀がつづく。
 
本殿までの中間点くらいに女人堂があり、そこの階段で小休憩してからさらに上を目指した。大雨ではないが、雨は降り続いている。途中、落石危険の看板もあるのだが、これは先を行く参拝者(登山者)や下ってくる者が、不本意ながら蹴り落としてしまう場合が多そうだ。じっさい僕もそんなに大きな石ではないが転がしてしまい下の人(同行者)に謝った。
ヘタリながらも、しばらくそういった登山道を登っていくと、やがて鉄や丈夫そうな網などで組まれた橋がある。橋とはいえ急坂だし、下を見ると冷や汗の出る高所だ。落ちたくない。生きて帰りたい。
 
橋を登り切ると狭い足場に7メートルくらいの崖があり、鉄の鎖とロープが数本垂れ下がっている。これを登りきると本殿があるのだが、ゆらゆらして安定感がない。数メートル登ったところで、これは無理では?と本気で諦めかけたのだが、その宙ぶらりんのところから降りるのもすでに難しい状況になっていた。仕方なく再び渾身の力で体を引き上げた。人間、必死になればなんとかなるものだ。ようやく登りきると、狭い洞窟の中に本殿があった。
 
半端ない達成感と汗に包まれながら眼下の日本海や絶景をしばし眺める。せっかく苦労してここまで来たのだから、すこしはゆっくりしたかったが、この後の予定もあるので名残惜しいが戻ることにした。お賽銭を投げ入れ、無事の下山をお願いして下界に向かうことにする。
とはいえ、下りもまた油断はできない。恐怖感を抑えつつ慎重に下った。後ろ向きに進むほうが降りやすい箇所が多い。もちろんロープは必須、手放せない。最後の石階段も気を緩めることなく下りきったとき、ほっとすると同時に地べたにしゃがみ込んでしまった。小雨は降り続いていたが、爽やかで晴れやかな気持ちに包まれていたのだった。
おしまい。
 
 
 
 
 

北海道マラソン2019/おでこは関門バーを超えていた

25日の日曜日は北海道マラソンだった。
 
その朝、食事をしていたら右奥の銀歯がとれた。最近違和感があったので、そろそろ外れるかなとは思っていたが、よりによって大事なレースの朝にとれなくてもいいじゃないかと気持が沈んだが「ま、ほんの僅かだが体が軽くなるんだから」と、舌先で穴のあいた箇所をさぐりながら、ポジティブシンキングにきりかえた。
 
会場にはウォーミングアップするようなスペースはない。早くに家を出ても時間を余すので、ゆっくりめに自宅を出発した。すでに霧雨は降っている。地下鉄に乗ると、始発駅だから座れたのもあり、「地下鉄なう」とか、あいかわらずノー天気にTwitterで呟こうとしたら、なぜかポケットにスマホがないではないか。リュックの隅々まで探したがない。いちおう座席でさりげなく尻や股間の下あたりに手をいれて、もぞもぞまさぐってみたが、やっぱりそこにもない。うむ。まさか歩いているときに落としたとも思えないので、自宅に忘れてきたようである。ポジティブシンキングの僕はまた考えた。「ま、これでさらにレース中の体が軽くなるではないか」。銀歯とスマホがないぶん、完走確率が0.1%はあがったのである。
 
会場では数人の知り合いランナーに会ったが、それぞれ自分の所定ブロック(2年以内程度のフルマラソンベストタイムによる振り分け)があり、大通の丁目ごとに分かれている。なので知り合いだからといって同じブロックでレース前の準備ができるとは限らない。行動も別々になる。僕は大通西7丁目だった。芝は雨で濡れているのでベンチに座りたい。ほとんどが埋まっていたが、僅かなスペースを見つけて図々しく割り込み、着替えなどの準備をすませた。雨は降りつづいているが、かんたんにストレッチをし、荷物を預けスタートブロックには8時30分に並んだ。
 

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ウェアはどちらにするか迷ったが左にした。完走した2012年の道マラ参加賞Tシャツである。ちなみに文字は少し隠れているが、RUN FOR FUN である。
 
スタートのあいさつと号砲は、若い鈴木北海道新知事だった。前日の天気予報では、気温は最高で21℃と低く、風は4mくらいでけっこうありそうだったが、朝になってからはなぜかまったく気にしていなかった。雨が降ることも知らなかった。だから合羽も荷物にいれてない。風が強すぎるのは完走にマイナス要素と言えなくもないが、少なくとも向かい風を耐えれば追い風はランナーを助けてくれる。小降りとはいえ前半の大半が雨だったのはちょっと意外だったが、おかげで毎年のようにランナーを苦しめる新川通の往路だけでも疲労を抑えることができた。折返し後は日差しが出てきて暑くなってはきたが、追い風がカラダとキモチを軽くしてくれる。とはいえ、30kmあたりからは徐々にペースが落ちてきた。が、僕にしては粘った。北大構内では数人の走友が毎年恒例のコーラエイドを開いてくれている。僕自身も2015年の道マラ引退後(2014年の道マラが僕の誕生日だったので、赤い「本日還暦Tシャツ」を特注して走ったが40km関門にひっかかった。翌2015年リベンジしようとしたが、腰痛だったので予定どおり12kmでリタイアしたのを最後に引退。しかし今年血迷ってエントリーしてしまう)は、そこで一緒にランナーを応援していたのである。なんとかそこまでは辿り着きたい。できればその先の関門制限時間に余裕を残して。
 
10日前(8/15)の記事に「北海道マラソン2019 惨敗した場合のエクスキューズ」という言い訳を先に書いておいた。完走できそうもない要素がたくさんあったので、限りなく無理かもしれないが頑張る、という内容だ。
完走できなくても「頑張りさえすれば」オーケーなので楽な気持で走れる、と消極的ではあるが自分に暗示をかけたのである。
 だから予想どおりの展開とはいえるものの、理想のプランよりもちょっと落ちすぎた。だが北大コーラエイドをひたすらに目指した。そこまで行ければ関門にも間に合うような気がしていたのだ。エイドでは何人かは僕を待っていてくれた。いや僕だけを待っていた訳ではないが、手を振って飛びあがって迎えてくれた。ありがたい。持つべきは友や知り合いである。そして慌ててコーラを一杯ごちそうになり、すぐに40km関門を目指してダッシュした。
 
40km関門手前では沿道のひとや係員から、閉鎖が間近であることを知らされ一所懸命に走った。ここをクリアしなければ、初めて時計のベルトに関門時間メモを貼付して臨んだことも意味がなくなり、ひそかに連日、腹筋・背筋・スクワットを欠かさず実行した努力も、ウェストポーチに禁断のエネルギーゼリーを隠してきたことも、この一週間アルコールを抜いた(じつはものすごく久し振りにフルマラソン前に一滴も飲まなかった)苦労も、なんちゃってカーボやなんちゃってウオーターローディングもすべてが文字どおり水泡に帰す。せっかく銀歯もスマホも置いてきた(?)のに無駄になるではないか。
 

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なので一所懸命に走った走った走った。たぶんその数十メートルはキロ6分は切っているはずだ。が、なんと、まさに、ちょうど僕の腹に当たって40km関門バーは左右からちょうど閉じられた。しかし、おでこは関門バーを超えていたと必死の形相で係員に主張する(競馬か?)と、バーとバーの間が緩んで少し開いた。そこを逃さず体を横にして通過する。
 
とりあえずほっとして歩いていると、自転車の若者が「まだこの先の道庁に関門がありますよ。まだ間に合います」と教えてくれる。もちろんその41.6km関門は知ってはいたが、まわりのランナーの多くが歩いていたのでつい気が緩んでいたのだと思う。すぐに走り出した。とはいえ40km関門から41.6km関門の間は、15分で走ればいいのでペース的にはキロ9分以上でも間に合う。ゆっくりでもいいのだ。大通で右に曲がると完走のウィニングランだ。初めてのフルマラソン完走(2005年洞爺湖ラソンで4時間18分32秒。割と速かったことに驚くが、14年前50歳のときだ!)に匹敵する感慨深いゴールであった。
 
記録は5時間7分12秒(ネットは4時間57分56秒)。
 
ゴール後、よたよたとメダルや完走証を受けとったが、あとで記録証をみるとなんと40km通過時刻は記録されていなかった。これは、つまり、やっぱり、正式には関門不通過? 電子的システムにおいては自動的に記録されるタイムなのかもしれない。だが、しかし、でも。フィニッシュの記録は厳然として存在している。人生において過程はさほどモンダイではない。結果がすべてなのである(一部不適切な発言がある)。グレーゾーンやファジーな部分はどこにでもあるものだ。
 

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40kmの記録が空白であるが、ここは関門閉鎖時刻と同じなので4時間50分である。

荷物受け取り場所には家人が来ていた。応援の予定もなかったのでまさかそこにいるとは夢にも思っていなかったが、スマホを届けに来てくれていた。この後、レースの打ち上げもあり遅くなるかもしれないのであったほうがいいだろうということだった。完走したことにはものすごく驚いていた。
 
今年の完走率は84.5%だったそうだ。ここ10年で2番目の高完走率である。おかげで僕も完走することができたと言っていい。
次は、抽選に当たれば京都マラソンである。
(おしまい)