京都マラソン2020 – 雨のなか、みやこ京都を走った
スタート会場 仁和寺二王門前
二条城 京都国立博物館
〈 追記 〉
そういえば、メダルと完走証。伝統工芸である京友禅の柄をプリントしたメダルリボンが素敵です。
2019年。痛かったこととか、嬉しかったこととか。
年々、歳をとる。8月に65歳になったので、僕も正会員として高齢者の仲間入りをしたということだろう。ギブアップはしないけれど、残念ながらアタマもカラダもちょっとガタがきてるかなあと思うことは増えた。
アタマのほうは、記憶力の衰えが気になる。家庭内では、なにかを指摘されても「聞いてない」で済ませることが多いが、追加の説明をされると「そういえば聞いたか」となることもある。しかし向こうだって歳をとっているのだから「伝えたつもりだったが実は言ってなかった」こともあるはずだ。そこらへんは、労わりあわなければなあと思うのである。
仕事では「聞いてない」で済ませるわけにいかないので、忘れそうなこと忘れてはいけないことは、メモをとるなりTO DOリストを作成する。これは具体的に細かいところまで書かないといけない。かんたんな単語だけでは、あとで意味が分からないことが多々あるのだ。記憶の紐が綻びた糸のように細くなっているのである。
カラダのほうも深刻だ。
今のところ内臓系は大丈夫だが、足腰をはじめ骨・関節系がいけない。2004年くらいから、ときどき走ることが習慣になり今に至るのだけれど、膝の故障を何度もくりかえした。膝だけではなく、かかと、足首、すね、腿、股関節。そうやって下半身の不調を抱え、病院や整体、針治療などを施しながら、走れるときはずっと走ってきたが、ここ数年はギックリ腰に悩まされている。
今回も26日の朝に、ベッドのシーツを整えている際に発症した。なんでそんな作業でと思うかもしれないが、中腰での中途半端な姿勢ではそういうこともあるのだ。なんと昨年も御用お納めの前日、布団を敷いているときにやってしまい会社を休んでいる。けっきょく年末年始は一歩も外出できずに家で過ごしたのである。今回はすこし軽めだろうと思っているがどうなるか。もちろん発症いらい走ってはいない。歩くのもやっとなんだから走れるわけがない。今年は5月にも母を抱えて車椅子に移すときにギクッとやってしまった。もう持病的になっているので、ふだんの生活ではじゅうぶん気をつけているのだが、それでもやってしまうときはやってしまうのだ。
そういえば今年は1月下旬に左手小指の骨折もしていた。ランニング・イベントで走ったあとの飲み放題のような酒に深く酔ってしまい、帰宅後の布団にバターンと倒れこんだ際に折ったらしい。ポキッと折れたのではなくズレるような折れ方をしていたので、その際の痛みは深酒の中に紛れてしまったのかもしれない。詳細はわからない。折れているのを自覚したのは翌朝なのだから。整形外科で、とても難しい折れ方をしていると言われ、手の怪我の専門的な病院を紹介されたものの、けっきょく手術は断って添木固定による保存療法(?)とリハビリ療法を選択したから、小指はいまだ曲がったままで痛みもまだすこしある。
骨折から開催まで4週間もなかった2月の熊本城マラソンでは、完走はできたが固定ギプスをしたまま走ることになった。もしつまずいて転んだら大変なことになるなあと思いながら、修復中の熊本城を眺めて走ったことを思い出す。
8月の北海道マラソンは、5月下旬のギックリ腰の痛みがなんとか収まってから、そろりそろりとランニングを再開したので練習不足はあきらかだった。それでも完走できたのは、気温と湿度が例年になく低く走りやすかったからである。とはいえ、関門バーをこじ開けてのギリギリ完走なので大きなことはもちろん言えない。
ラン以外の話題では、グアムでの次男の結婚式(4月)が良かった。ハワイとかグアムとかには、まったく興味はなかったが、両家の家族が集まってのリゾート・ウェディングは素敵な思い出になった。次男と一緒に走ったグアムでの旅のランも忘れられない。
そして10月は、北海道コンサドーレ札幌が初めて決勝の舞台に立ったルヴァンカップ。さいたまスタジアムの熱闘は、いまだに血が湧き立つような興奮を呼び覚ます。東京で働いている長男を誘って一緒に観戦したが、カップ戦の歴史に残るあまりに激しく熱いゲームに二人で感動したものだ。You Tube などでその死闘を振り返るといまだにウルッとする。
ちなみにこのブログはいちおうランニング日記なので、今年のラン総走行距離も記しておく。1年で1072km、月平均は90kmにも満たなかった。ちょっと不本意だが、今日の日記を読めばたしょうは理解してもらえるだろうか。
そんなこんなで今年も大晦日。痛いことも苦しいこともあったが、嬉しいこと楽しいこともたくさんあった。来年もまたひとつ歳をとっていくわけだが、まずは腰を労わりつつ穏やかな一年を過ごしたいと思う。
ルヴァンカップ決勝とゴッホ展と旅のラン品川 その3
長男の部屋は品川区南大井なので海が近い。なので、海の方向へ走ることにした。といっても東京湾まで出る時間はない。とりあえず「しながわ水族館」へと向かう。旅のランなので、ゆっくりキョロキョロときどき立ち止まるので、距離はさっぱり稼げないがそれでいいのだ。
しかしとにかく真っすぐな道が少なく、道路が札幌のように碁盤の目にはなっていない。中に入ると狭い道が多い。グーグルマップをときどき開きながらもなかなか最短距離ではいけない。散歩みたいなものだから、それでもまあいいんだけども。
しかも水族館の敷地内は規模の大きい工事中なのでフェンスが多く、そのため通路が迷路のようになっている。やむを得ないとはいえ景観を壊す重機類も散見されるので、気持ちのいい写真を撮れなかったのは残念である。もちろん営業時間外だから館内は入れないし。
水族館敷地内にいた川鵜
つぎに「大森ふるさとの浜辺公園」へと向かうことにした。「東京ガス大森グランド」のすぐ隣にあり、サラサラの砂で400メートルほどのきれいなビーチである。ちょっと海外のリゾート地っぽい感じもする。文字どおり浜辺で水遊び程度はできるが遊泳は禁止らしい。夏なら水着になって日光浴ができるし、大きなパラソル型の東屋がいくつも並んでいて、気持のいい日陰をつくってくれるのだろう。ビーチバレーコートやフットサル場や多目的スポーツ広場、レストハウスなども併設されていて一日遊べそうなエリアになっている。天気のよい日曜日の朝だからかもしれないが、走っている人はけっこう多い。もちろん僕も砂の上を走ってきた。ほどよく締まった砂なので、ランニングシューズで走っても気持よく走れた。
ルヴァンカップ決勝とゴッホ展と旅のラン品川 その2
昨日の大雨が嘘のように、翌朝(10/26)の空はすっきりと晴れた。サッカー日和だ。
ルヴァンカップの決勝戦は、北海道コンサドーレ札幌と川崎フロンターレ。札幌はそもそも決勝進出が初めてであり、川崎は4度目の決勝戦だが優勝はない。どちらが勝っても悲願のルヴァン・カップ初優勝である。ただし川崎はJ1リーグ戦を連覇しており、その他のカップ戦等のタイトルをとったこともある。札幌はそれらがない。昨年、ミシャが監督となりJ1で4位という過去最高の成績をおさめたが、J2とJ1を行ったり来たりするエレベータークラブと揶揄されていたクラブなのである。過去から現在までのチーム力は圧倒的に川崎が上ではある。とうぜん前評判も優勝確率は川崎7に対して札幌3くらいだったのではないだろうか。もちろん一発勝負の決勝戦だから何が起こるかは誰にも分からないし、それでも札幌サポーターは全員が優勝を信じていたはずである。
人生初すき家で息子と朝定食を食べ、スタジアムでの昼用サンドイッチなどを西友ストアで購入し電車に乗った。息子のチケットも用意してあるので一緒に観戦するのだ。彼はもちろん道産子だが東京で仕事をしている。サッカーにはさほど興味はないが親の強権で一緒の観戦とした。部屋を出るときから僕もレプリカ着用だったが、途中駅や乗換駅などで赤黒レプリカユニ姿のサポーターが少しずつだが乗りこんでくる。青いレプリカユニもどんどん増えてくる。浦和美園駅で降車すると他車両からもどっとサポーターが吐き出された。駅を出て徒歩でスタジアムへ向かう。道路は歩行者専用となっており美味しそうな屋台がずらっと並んでいる。道路脇には多くの幟が立ち、ルヴァン・カップ歴代優勝チームの装飾も施されており、両チームのサポーターが世紀の決戦を前に興奮を抑えきれない様子でぞくぞくと歩いている。赤黒と青が目に痛いほどである。
コンサドーレはホームチームサイドで、バックスタンドスタジアム北側だ。僕らの席はSB指定席のセンター寄りで、しかもピッチに近いのに全体も見やすい良席だった。暖かい日差しもあり最適なコンディションのサッカー観戦である。メインスタンドの赤い階段と表彰ステージが鮮烈だ。あの舞台に融けこみながらもカップを掲げて立つ赤黒の選手たちが目に浮かぶ。生ビールがサッポロ・クラシックでないのは残念だが、天候に恵まれたおかげで美味しいビールがたくさん飲める。
試合開始前からの両ゴール裏を中心とした大声援は、決勝という特別な空気の中でスタジアム全体を揺るがしていた。まるでラグビーワールドカップで見たオールブラックスのハカやサモアのシバタウのように、サポーター同士の意気を示す合戦の様相もあった。選手の練習もふだんの試合とは明らかに違う何かがあった。
そして試合開始の笛が鳴り想像を絶する激戦の幕が開くのだが、そのサッカーの試合展開をなぞり、適切に解説したり劇的に表現する力量は僕にはない。
先制点を奪ったのは札幌であり、それがユース出身の菅だったこと。前半も後半も得点の奪い合いになり、後半アディショナルタイム終了間際のラストプレーで得点した深井もユース出身である。福森のコーナーキックからの強烈なヘディングで奪ったものだった。どちらも道産子だ。
赤黒のコンサシャツを着てはじめは居心地悪そうにしていた息子も、得点とかチャンスの際や追いつかれたり追いついたりするする展開にはまり込み、そのたびに歓声や悲鳴をあげていた。会場のボルテージに興奮していたのは、決勝という独特な雰囲気がそうさせていたのだろう。
そして激戦は延長戦へと突入した。札幌は、川崎の谷口がレッドカードで退場して得たフリーキックで、福森が芸術的に直接ゴールネットを突き刺して先に得点する。これを守りきれば優勝カップをつかめたはずだったが、そうはいかなかった。延長後半にまたもや追いつかれ、けっきょくPK戦となり試合は3-3(PK4-5)での残念すぎる敗戦となってしまった。
こうして劇的な同点弾や最後のPK戦など一瞬たりとも目の離せない、本当に見ごたえのある一戦になったルヴァン・カップ決勝。負けたくないといった守備的な試合の入りだったり、相手のミス待ちといった消極的な決勝ではなかった。どちらも自らの良さである攻撃的な試合だったので、お互いの選手やサポーターの魂の一戦だったと思う。
先日のラグビーワールドカップで日本中をにわかファンにした日本代表の熱くて激しい試合に負けず劣らず、ルヴァン・カップ決勝戦として歴史に残る試合といっていいのではないか。
記者が書いたもうすこしマシな記事はこちらで。
じつはビールを買うために売店の列に並んでいるとき、すぐ後ろの川崎サポーターと話す中で「僕が埼スタに来ると、勝ったことないんですよ〜」と言っていたので、コレはこの試合もらったな! と油断した僕のせいで負けたのかもしれない。あー、すみません。ごめんなさい。
戦い済んで日が暮れて。
僕らは都内にもどり、居酒屋で祝杯ならぬ惜杯をあげ涙を拭き、長い一日の幕を降ろした。そしてまた来年のこの日が来るようにと、夜空の星に願いながら家路についたのだった。
ルヴァンカップ決勝とゴッホ展と旅のラン品川 その1
僕の趣味は走ることと本を読むことである。
あとは仕事をしている。寝ること食べること、ぼーっとしていることは別にして。
スポーツ観戦も数に入れていいが、ここ数年はサッカー中心だ。それも北海道コンサドーレ札幌の応援である。もともと地元にそのプロサッカーチームが誕生してから気にかけていたし、我が家の近くに練習場があったので、デリー・バルデスやウーゴ・マラドーナも間近に見ていた。今はもう結婚もしている次男が就学前に一緒の写真を撮ってもらったこともある。この数年はシーズンシートを買っているので、ホームゲームはほぼ会場に足を運んでいる。しかしゴール裏での応援はしないし、アウエーの試合も行かないので、まあ緩いサポーターと言っていいのだろう。
その僕が初めてサッカー観戦で「遠征」することになった。マラソンでの遠征はたまにあるがコンサでは初である。数年前の天皇杯で勝ち進んだときに、もしかして決勝に行ったら元旦の決勝戦には国立にいくぞっと思ったものの負けてしまったことはあったが。
昨年はACLを逃したがJ1リーグ戦4位の快挙を成し遂げ、名将ペドロビッチことミシャが監督になって2年目の今季はルヴァン・カップの決勝に駒を進めたのである。ガンバ大阪との準決勝でホーム&アウエーの激戦を制したのだ。札幌ドームでその瞬間を見届けたとき僕は、決勝戦がおこなわれる埼玉スタジアムへ行こうと決めたのである。
ガチサポーターの思考として、個々の条件が許される限り埼スタ参戦以外の選択肢はないほどの大事件である。なにしろ、この緩いサポーターの僕でさえ即座に行こうと思ったのだから。だが、観戦チケットや航空券などを手配しなければならない。コレがけっこう大変だった。いちいち書かないけど、思うことはみな同じだったのである。決勝戦の前にサポーターのチケット争奪戦?になったのである。
けっきょく決勝当日の飛行機は取れず前日入りになった。ということは金曜日の仕事を休まねばならない。バレないように前倒しと先送りのスケジュールを組んだのは言うまでもない。
金曜日(10/26)の関東地方が大雨の予報だったのは数日前から分かっていた。
千葉県など被害の出ている地域もあり申し訳ない気持ちもあったが、上野はそこまではひどくなくて大雨だけが降っていた。
せっかく予定外の休みを一日確保したので、上野の森美術館の「ゴッホ展」を観ることにしていた。ふだんは借りることのない音声案内を利用したのは、「いだてん」のりくちゃんこと杉咲花さんが案内してくれるからだった。優しい声に浮かれて、帰りにはファイルや絵はがきのほか、絵本「ぼくはビンセント・ファン・ゴッホ」まで買ってしまったじゃないか。
初期の作品があり、オランダのハーグ派や影響を受けたパリ印象派の作品などもあり、ゴッホも画風の変遷を経るのだが、やはり炎の画家ゴッホは、晩年の「糸杉」や「麦畑」の力強さが群を抜いていた。さらに僕の趣味で言えば、精神的に悪化して入所していたときに描いた「サン・レミ療養院の庭」も良かった。とても病んでいる人の作品とは思えない。泣きそうになるくらい艶々とした素晴らしさである。
美術館を出てもまだ大雨だったし、お腹も空いたので遅いランチにする。大雨だから美術館至近のイタリアン・レストラン(Le quattro stagioni)でワインとパスタ。雨がなかなか止まないのでコーヒーの後もまたワイン。もうひとつ美術館か博物館に行こうと思っていたが、あまりに雨が激しいし、移動による雨びたしで靴が濡れることを考えると断念せざるを得なかった。なにしろ旅のラン前提のランニングシューズである。
しかしこの大雨によって関東や東北では被害も出ているのだ。この程度のことで不満を言ってはいけないのはもちろんである。
そうこうして遠征の初日は、仕事が終わった長男と大森で合流し、夕食をとってから南大井の彼の部屋に泊まったのだった。
旅のラン せたな町 & 日本一参拝が危険な太田山神社
北海道マラソン2019/おでこは関門バーを超えていた
40kmの記録が空白であるが、ここは関門閉鎖時刻と同じなので4時間50分である。