RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

旅のラン せたな町 & 日本一参拝が危険な太田山神社

先日、仕事で道南のせたな町に行ってきたので、旅のランについて書いておきたい。
 
せたな町は、2005年に瀬棚郡瀬棚町と北檜山町、久遠郡大成町の3つの町が合併してできた。日本海に面した縦にながい町である。例によって一泊二日の出張だったから、時間をつくれた二日目の朝に走ってきた。
 
宿泊した北桧山地区にある旅館のおかみさんに、朝は何時から玄関があいているかを訊いたら、ずっとあいてるよとのこと。玄関はいつも閉めないらしい。地方によくある平和で寛容な町である。朝食は8時半までに食べ終わってほしいとリクエストがあったので、ランは6時半にスタートして約1時間走ることにした。念のため前夜のうちにアラームを設定しておいたが、やっぱりそれが鳴る前には目が覚めていた。
 
旅館の前の国道229号線を海の方向へと走った。瀬棚地区方面へ向かうもののこれといって写真に撮るものは少ない。2キロくらい走ると風力発電のプロペラ風車が並んで見えたので、それを写真におさめてUターンし、兜野橋をわたって後志利別川(しりべしとしべつがわ)の流れを眺めてきた。もどって今度は反対方向へ足を進め、昨夜入ったきたひやま温泉をまわってから宿に向かう。途中、町立北桧山小学校の生徒と思われるこどもが元気なあいさつを先にしてくれた。うれしい。走った距離はいつものように、時間に比べてみじかい6kmほどの旅のランとなった。
 

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 この日は、日本一参拝が危険な神社とも言われる太田山神社に登るのが予定に入っていたので、それについても記しておきたい。天気予報がはずれ雨模様となってしまったが、もしもすべって危険な状況であれば参拝を潔くあきらめ撤退することも想定していた。しかし登りはじめると、ヒヤヒヤしながらもけっきょく最後まで完登し参拝をしてきた。
 
道道に面した鳥居から天に向かって伸びる長ーい階段の平均斜度は45度、最大50度の傾斜。一段あたりの奥行は20cmほどなので足裏全部はのらない。なので、ここからすでに2本のロープが設置されているのである。登り切ると岩の多い狭い山道に入り、ロープがないときついし危険でもある登攀がつづく。
 
本殿までの中間点くらいに女人堂があり、そこの階段で小休憩してからさらに上を目指した。大雨ではないが、雨は降り続いている。途中、落石危険の看板もあるのだが、これは先を行く参拝者(登山者)や下ってくる者が、不本意ながら蹴り落としてしまう場合が多そうだ。じっさい僕もそんなに大きな石ではないが転がしてしまい下の人(同行者)に謝った。
ヘタリながらも、しばらくそういった登山道を登っていくと、やがて鉄や丈夫そうな網などで組まれた橋がある。橋とはいえ急坂だし、下を見ると冷や汗の出る高所だ。落ちたくない。生きて帰りたい。
 
橋を登り切ると狭い足場に7メートルくらいの崖があり、鉄の鎖とロープが数本垂れ下がっている。これを登りきると本殿があるのだが、ゆらゆらして安定感がない。数メートル登ったところで、これは無理では?と本気で諦めかけたのだが、その宙ぶらりんのところから降りるのもすでに難しい状況になっていた。仕方なく再び渾身の力で体を引き上げた。人間、必死になればなんとかなるものだ。ようやく登りきると、狭い洞窟の中に本殿があった。
 
半端ない達成感と汗に包まれながら眼下の日本海や絶景をしばし眺める。せっかく苦労してここまで来たのだから、すこしはゆっくりしたかったが、この後の予定もあるので名残惜しいが戻ることにした。お賽銭を投げ入れ、無事の下山をお願いして下界に向かうことにする。
とはいえ、下りもまた油断はできない。恐怖感を抑えつつ慎重に下った。後ろ向きに進むほうが降りやすい箇所が多い。もちろんロープは必須、手放せない。最後の石階段も気を緩めることなく下りきったとき、ほっとすると同時に地べたにしゃがみ込んでしまった。小雨は降り続いていたが、爽やかで晴れやかな気持ちに包まれていたのだった。
おしまい。
 
 
 
 
 

北海道マラソン2019/おでこは関門バーを超えていた

25日の日曜日は北海道マラソンだった。
 
その朝、食事をしていたら右奥の銀歯がとれた。最近違和感があったので、そろそろ外れるかなとは思っていたが、よりによって大事なレースの朝にとれなくてもいいじゃないかと気持が沈んだが「ま、ほんの僅かだが体が軽くなるんだから」と、舌先で穴のあいた箇所をさぐりながら、ポジティブシンキングにきりかえた。
 
会場にはウォーミングアップするようなスペースはない。早くに家を出ても時間を余すので、ゆっくりめに自宅を出発した。すでに霧雨は降っている。地下鉄に乗ると、始発駅だから座れたのもあり、「地下鉄なう」とか、あいかわらずノー天気にTwitterで呟こうとしたら、なぜかポケットにスマホがないではないか。リュックの隅々まで探したがない。いちおう座席でさりげなく尻や股間の下あたりに手をいれて、もぞもぞまさぐってみたが、やっぱりそこにもない。うむ。まさか歩いているときに落としたとも思えないので、自宅に忘れてきたようである。ポジティブシンキングの僕はまた考えた。「ま、これでさらにレース中の体が軽くなるではないか」。銀歯とスマホがないぶん、完走確率が0.1%はあがったのである。
 
会場では数人の知り合いランナーに会ったが、それぞれ自分の所定ブロック(2年以内程度のフルマラソンベストタイムによる振り分け)があり、大通の丁目ごとに分かれている。なので知り合いだからといって同じブロックでレース前の準備ができるとは限らない。行動も別々になる。僕は大通西7丁目だった。芝は雨で濡れているのでベンチに座りたい。ほとんどが埋まっていたが、僅かなスペースを見つけて図々しく割り込み、着替えなどの準備をすませた。雨は降りつづいているが、かんたんにストレッチをし、荷物を預けスタートブロックには8時30分に並んだ。
 

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ウェアはどちらにするか迷ったが左にした。完走した2012年の道マラ参加賞Tシャツである。ちなみに文字は少し隠れているが、RUN FOR FUN である。
 
スタートのあいさつと号砲は、若い鈴木北海道新知事だった。前日の天気予報では、気温は最高で21℃と低く、風は4mくらいでけっこうありそうだったが、朝になってからはなぜかまったく気にしていなかった。雨が降ることも知らなかった。だから合羽も荷物にいれてない。風が強すぎるのは完走にマイナス要素と言えなくもないが、少なくとも向かい風を耐えれば追い風はランナーを助けてくれる。小降りとはいえ前半の大半が雨だったのはちょっと意外だったが、おかげで毎年のようにランナーを苦しめる新川通の往路だけでも疲労を抑えることができた。折返し後は日差しが出てきて暑くなってはきたが、追い風がカラダとキモチを軽くしてくれる。とはいえ、30kmあたりからは徐々にペースが落ちてきた。が、僕にしては粘った。北大構内では数人の走友が毎年恒例のコーラエイドを開いてくれている。僕自身も2015年の道マラ引退後(2014年の道マラが僕の誕生日だったので、赤い「本日還暦Tシャツ」を特注して走ったが40km関門にひっかかった。翌2015年リベンジしようとしたが、腰痛だったので予定どおり12kmでリタイアしたのを最後に引退。しかし今年血迷ってエントリーしてしまう)は、そこで一緒にランナーを応援していたのである。なんとかそこまでは辿り着きたい。できればその先の関門制限時間に余裕を残して。
 
10日前(8/15)の記事に「北海道マラソン2019 惨敗した場合のエクスキューズ」という言い訳を先に書いておいた。完走できそうもない要素がたくさんあったので、限りなく無理かもしれないが頑張る、という内容だ。
完走できなくても「頑張りさえすれば」オーケーなので楽な気持で走れる、と消極的ではあるが自分に暗示をかけたのである。
 だから予想どおりの展開とはいえるものの、理想のプランよりもちょっと落ちすぎた。だが北大コーラエイドをひたすらに目指した。そこまで行ければ関門にも間に合うような気がしていたのだ。エイドでは何人かは僕を待っていてくれた。いや僕だけを待っていた訳ではないが、手を振って飛びあがって迎えてくれた。ありがたい。持つべきは友や知り合いである。そして慌ててコーラを一杯ごちそうになり、すぐに40km関門を目指してダッシュした。
 
40km関門手前では沿道のひとや係員から、閉鎖が間近であることを知らされ一所懸命に走った。ここをクリアしなければ、初めて時計のベルトに関門時間メモを貼付して臨んだことも意味がなくなり、ひそかに連日、腹筋・背筋・スクワットを欠かさず実行した努力も、ウェストポーチに禁断のエネルギーゼリーを隠してきたことも、この一週間アルコールを抜いた(じつはものすごく久し振りにフルマラソン前に一滴も飲まなかった)苦労も、なんちゃってカーボやなんちゃってウオーターローディングもすべてが文字どおり水泡に帰す。せっかく銀歯もスマホも置いてきた(?)のに無駄になるではないか。
 

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なので一所懸命に走った走った走った。たぶんその数十メートルはキロ6分は切っているはずだ。が、なんと、まさに、ちょうど僕の腹に当たって40km関門バーは左右からちょうど閉じられた。しかし、おでこは関門バーを超えていたと必死の形相で係員に主張する(競馬か?)と、バーとバーの間が緩んで少し開いた。そこを逃さず体を横にして通過する。
 
とりあえずほっとして歩いていると、自転車の若者が「まだこの先の道庁に関門がありますよ。まだ間に合います」と教えてくれる。もちろんその41.6km関門は知ってはいたが、まわりのランナーの多くが歩いていたのでつい気が緩んでいたのだと思う。すぐに走り出した。とはいえ40km関門から41.6km関門の間は、15分で走ればいいのでペース的にはキロ9分以上でも間に合う。ゆっくりでもいいのだ。大通で右に曲がると完走のウィニングランだ。初めてのフルマラソン完走(2005年洞爺湖ラソンで4時間18分32秒。割と速かったことに驚くが、14年前50歳のときだ!)に匹敵する感慨深いゴールであった。
 
記録は5時間7分12秒(ネットは4時間57分56秒)。
 
ゴール後、よたよたとメダルや完走証を受けとったが、あとで記録証をみるとなんと40km通過時刻は記録されていなかった。これは、つまり、やっぱり、正式には関門不通過? 電子的システムにおいては自動的に記録されるタイムなのかもしれない。だが、しかし、でも。フィニッシュの記録は厳然として存在している。人生において過程はさほどモンダイではない。結果がすべてなのである(一部不適切な発言がある)。グレーゾーンやファジーな部分はどこにでもあるものだ。
 

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40kmの記録が空白であるが、ここは関門閉鎖時刻と同じなので4時間50分である。

荷物受け取り場所には家人が来ていた。応援の予定もなかったのでまさかそこにいるとは夢にも思っていなかったが、スマホを届けに来てくれていた。この後、レースの打ち上げもあり遅くなるかもしれないのであったほうがいいだろうということだった。完走したことにはものすごく驚いていた。
 
今年の完走率は84.5%だったそうだ。ここ10年で2番目の高完走率である。おかげで僕も完走することができたと言っていい。
次は、抽選に当たれば京都マラソンである。
(おしまい)

北海道マラソン2019 惨敗した場合のエクスキューズ

ヒマだし、このままだと8月の記事のアップは難しいから、2019道マラ(8/25)にむけてなにか書くことにした。

 

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2014年北海道マラソン「本日還暦」Tシャツを着て楽しく走ったが、このあと40km関門は閉じられた。

 

大会は日曜日だから、走ってから31日の土曜日までに道マラ惨敗記(?)を書けばいいのかもしれないが、体と心のダメージがはげしくて記事にできない可能性がある。すでに完走する気がゼロのようなメンタルになっているが、それもそのはずである。今年2月の熊本マラソンが5時間50分、昨年2月の東京マラソンが5時間40分。5時間をかろうじてクリアしているのは一昨年10月の金沢マラソンで4時間55分だ。

 

いずれも気温や湿度的に走りやすい秋か冬のマラソンである。これらのタイムをみても、夏の北海道マラソンで制限時間の5時間を切れるとは誰も思うまい。しかも65歳誕生日の直前に走るのだ。どこの関門まで行けるかといったレベルといってもいい。道マラに至っては2014年が40km関門まで、2015年は腰痛もあって12km過ぎにリタイア。道マラの完走は2012年まで遡らねばならない。まだ若かった58歳のときだ。

道マラはリタイアしたその2015年で引退したので、それ以来エントリーしていなかった。が、何を思ったかついエントリーボタンをクリックしてしまった。血迷ったとしか思えない。

 

ここ数年、ぎっくり腰を何度も再発していて腰部(カラダの要だからね)の不安がつきまとっているし、これに伴う下半身・脚部の可動域を含むパフォーマンスやパワー不足もあきらかなのである。昨年12月下旬にもやってしまって会社の大掃除も仕事納めも欠勤したのだ。けっきょく年末年始はほぼ自宅で寝たきりとひきこもり。少しずつ走り始めたのは1月9日からだ。

 

5月からはぼちぼち練習量を増やし月間195kmを踏んだものの、その下旬にはまたぎっくり腰で2週間以上のランオフ。6月にランを再開したが、そろりそろりのスロージョグから始めざるを得なかった。救いは7月は月間200kmを超える距離を走れたことだ。ただし長めのランの終盤の粘りがほとんどできない。しかもスピードが以前に比べると落ちている。

 

そんな状況なので完走は難しいかもしれない。しかし諦めたわけではない。当日のコンディション(自分の足・腰および当日の気温・湿度等)しだいではなんとかならないものかと希望的な気持ちは持っている。今月はもう長距離走はやめて疲労回復を意識しつつ走り、風邪をひかぬよう腰を痛めぬように過ごそうと思っている。これでどこまで走れるか。

 

盆を過ぎるころには札幌は涼しくなるのが常だが、道マラ当日はなぜか毎年、気温や湿度が上がることが多い。アスファルトの照り返しも加わるので、新川通などはとくに体感温度がさらに高まるのだ。なので、ぜひぜひ僕の完走確率を1パーセントでも上げるためには、爽やかな秋の風と涼しい気温をお願いしたいと思うのである。

 

と、これくらい言い訳をあらかじめ並べておけば、途中リタイアや関門不通過もしやすくなったのさ。あとは無理せずベストを尽くすだけである。

江別たまゆラン

今日はいつもと気分を変えて、「北のたまゆら江別」の駐車場から、たまゆラン(スーパー銭湯たまゆらを起点のランニング)をスタート。

 

 野尻牧場というらしい。

 

 

道道46号線へ出て110号線を右折して46号線5丁目通を左折。そして国道275号線で新石狩大橋を渡って当別方面へ抜けようとしたが、橋に歩道がなく断念。仕方なく手前の川沿いを走ることにした。対雁通というらしい。そこから石狩大橋を渡って美原。バイパス横の農道みたいな道路をのんびりと走って美原大橋を渡る。

 

 

  

 けっきょくルート変更により当別へは行けず(行かず)、予定よりも大幅に距離が短くなって、ジョグノートの記録によると20kmだったが、いくらなんでも短かすぎるなあと感じたので測り直したら22.3kmだった。薄曇りでGPSが拾いにくかったのか? 走ったルートを辿ると僕はなんと川を泳いでるようだし、ズルして12号線もショートカットしてるしめちゃくちゃ。だけどまあ、おだやかなラン日和だったのでそれはなにより。温泉に入って、昼めしを食べて、休憩室でストレッチ。残念ながら車だからビールはなかったが、帰宅後には缶ビールを2本ごくごく。で、めでたしめでたし、幸せな一日であった。

 

北広島ロードレース/15kmだけど

630日日曜日は、北広島ロードレースだった。

メインは30kmレースなのだが、僕が走ったのは15km。ほかにも5kmとかファイターズランなどがある。

 

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中途半端な距離ともいえるが、今年は久しぶりに北海道マラソンにエントリー(4年前に道マラは引退したんだけど、ついポチってしまった。今年の開催は825日)しているので、2ヶ月前のいま現在はレースでどんなふうに走れるのか確認しようと出場した。あまり意気込まずに走りたいが、しかし無理をしない範囲でふだんのジョグとは違うモードでちゃんと走ろうとは考えていた。

 

本当はこの1ヶ月後つまり7月末に釧路湿原ラソン30kmを走り、8月の本番1週間前には10kmレースにでも出てスピードも上げて、などと考えていたのである。だが釧路は宿が取れそうもなく、そうこうしているうちにエントリーしそこねてしまった。だんだんエントリーできるレースもなくなってきているので、もしかするとこのあとは大会に出ることなく本番になってしまうかもしれないが、まあそれでもいいか。何本かLSDなどを入れつつ少しは走り込もう。

 

それはさておき、昨日までの天気予報が変わり当日朝の予報では傘マークがなくなっていた。昨夜のうちは雨が前提の準備をしていたので、起きてからウェアなどの準備をし直した。 

北広島へは、いったん地下鉄で札幌駅まで出て快速エアポートで向かうことにした。駅からはエルフィンロードを会場の北広島総合体育館まで徒歩にて15分。 

受付でゼッケンなどを受けとる。参加賞は長袖Tシャツ、「きたひろ畑のプディング」というスイーツ(じゃがいも、かぼちゃなどを使ったもの。バターをのせて温めて食べたらとても美味しかった)、ペットボトルのお茶。この大会には第1回(たぶん15年前の2004年、ハーフマラソンだったか?)開催時にも出場しているが、そのときも参加賞は長袖Tシャツだったと思う。多くの大会が半袖Tシャツか大判タオルが多いので長袖はうれしい。今回は紺色で大会名等が背中側の裾にプリントされている。 

 

15km30kmは同じ場所から左右にわかれて同時スタートする。JR千歳線札幌方面の左側(北海道日本ハムファイターズの新ボールパーク建設予定地の「きたひろしま総合運動公園」)を1km程度走り、ランナーがばらけて縦に長くなったころエルフィンロードに入る。

余談だが、第1回大会のあいさつで故町村信孝氏は「エルフィンロードは私がつくった」みたいなことを言っていたっけ。

エルフィンロードは我が家またはスーパー銭湯たまゆらを起点に、ランニングシーズン中はなんども世話になっているが、大会で走るのと一人で走るのとは趣きがまったく違う。

エイドは3kmごとにあるので給水の心配はない。だがサイクリングロードだからコースはそんなに広くない。むしろ狭い。河川敷コースのように腕や肩の接触もたまにあるし、スムーズに前に出れないこともある。だからといって、そんなにタイムに影響はないと思うが、たしょうストレスには感じる。もっともお互い様なのは言うまでもないが。 

 

走っているときの出来事などはたいしてない。コンサドーレのレプリカ着用ランナーは僕より速い方が二人か三人、遅い方も同じくらいいた。もちろんファイターズユニもおおぜいいた。それ以外のいわゆる仮装ランナーは見かけなかったが、禁止になったのかな。あとは、大河ドラマ「いだてん」放送中のせいか、“すっすー、はーはー”と呼吸しているように聞こえる方が数名いた。そういう僕もときどきやってたけど。 

腕時計を忘れたというか、していなかったのでまったくペースは分からなかった。自分の感覚としてはキロ6分から6分半のあいだで終止走ったつもりだったが、ゴールして記録症をもらうと1時間376秒だったので6分半弱といったところ。ほんとうはもうちょっと速く走りたかったな。 

 

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風呂は北広島クラッセホテルの「楓楓」へ。駅前からシャトルバスが出ているのでそれに乗る。10分ほどで着いた。700円也を支払いゆっくりと湯につかった。風呂上がりにはもちろん生ビール。サッポロクラシックなのが、コンサドーレゆるサポとしてもうれしい。だが、かき揚げ蕎麦を食べて、さあ駅に戻るかと帰りのバス時刻を調べたら発車までもう時間がない。食べ飲みする前に調べておけという声が聞こえる。

急いでホテル前に行ってみたが2分ほど過ぎていた。バスなんか遅れるのがふつうだからと、タカをくくっていたが数分待っても来ない。やっぱり定刻で行っちゃったのかしら。次の便は50分後なのだ。

僕は基本的に待つのが嫌い。仕方ない、やれやれと思いながらも歩き出していた。たぶん5kmだったよなー、遠いなーと思いながら。バスに乗っても歩いてもかかる時間は変わらんなーと思いながら。途中の路線バスの時刻表もチェックしながら歩いた。タイミングよくバスが来たら乗ってしまおうと目論んでいたのに路線バスも来ない。

 

天気はよい。速歩きだからうっすら汗をかき、リュックの背中も汗ばむ。また風呂に入りたくなってきた。シャワーでもいいけど。

けっきょく温泉から駅への5kmと合わせると、ハーフマラソン程度の距離を踏んだことになる。なので良いトレーニングになったことにしよう。そうしているうちになんとか駅に着いたが、札幌行きの列車に空席は少なく、僕の席はなかった。

ちなみにこの日はサロマで100キロウルトラマラソンが開催されていた。合計20kmなんて屁みたいなものではある。


おしまい。

旅のラン/福島町

もう9日前のことで今更と思わないでもないが、ま、記録なので6月20日の旅のランをアップしておくことにした。

 

北海道松前郡の福島町は横綱の里である。

千代の山千代の富士と二横綱の生まれた町なのだ。今回はここで仕事があり一泊した。例によって、スキあらば出張ついでに走るのは僕の使命である。今回は二日目の早朝に走ることができた。

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例によって、とくにコースを決めて宿を出たわけではないので、まず向かったのは青函トンネル記念館だ。といっても早朝だから、もちろん館内を観ることはできない。しかし敷地内には、海峡の海底調査に活躍した北大水産学部潜水艇くろしおやトンネル掘削の大型機器などが展示されていた。目の前のバス停もトンネル仕様?である。

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マチのほうに戻って横綱記念館に行ってみる。正面入り口横には、両横綱の土俵入りの像が向かい合っていた。外階段には序の口から横綱までの説明や両横綱の出世ストーリーがパネルに記されている。青函トンネル記念館もここも、昼にはまた来て、ちゃんと中を見学するんだけどね。どちらも体験できる展示もあり充実した施設だ。

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そのあとは町なかを南へ、港方面へと少し真面目に走った。獲れたてのイカを朝一で販売する車が超々スローで道路を走っている。僕よりも遅いスピードで。

イカイカ・・・イカイカ・・・」とスピーカーで繰り返していた。信頼できるスジから聞いたところによると、昔は「イガイガ〜、イガ〜」とはっきり訛っていたという。しかしその販売車が実際に販売するところに遭遇したので話を聞いてみると、売っている方も買っている方もしっかり訛っていたのでホッとしたのだった。

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国道228号を2kmほど走ったあたりで漁港に入り、朝日を眺めながら戻ることにした。海沿いで海抜が低く裏山がある地域にはよくある津波時の避難階段がところどころにたくさんある。それを使う機会がないに越したことはないなあとは思う。

まっすぐ宿に戻るよりももう少しだけ走りたかったので、福島川にかかる横綱橋と呼ばれる橋を渡ってから折り返した。千代の富士の手形などをモチーフにしたデザインの橋だ。

けっきょく例によってたったの4キロちょっと程度の旅のランではあったが、散歩みたいなもんだから良いのである。

 

 

 

 

 

旅のラン/グアム

次男がグアムで結婚式を挙げることになり、4月18日お互いの家族が南の島に集まった。

 

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二日目に海の見える教会(ルース・デ・アムール チャペル)で式を挙げ、三日目に海に出てスキューバダイビングやイルカウォッチングなどで遊んだ。僕たち夫婦とお嫁さんのお父さんは船上で大人しくイルカ探し、ほかのメンバーはアクティブメニューを楽しんだ。

四日目は島内をJTBの観光バスでまわり、太平洋戦争での日本軍との激戦の跡地や熱帯魚の見えるアクアパークなどを見学した。ホテルのプールやビーチは、あいた時間に楽しんだ。

 

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僕は旅に出ると仕事にしろプライベートにしろ、時間があれば走ることを信条としている。今回も息子の結婚式とはいえ、走る準備は滞在日数分用意してきた。初日は夕方に走ったが、観光客がそぞろ歩いているのですこし走りにくかった。ランナーも多少はいる。気温は27℃、湿度は70%程度だから、我慢できないほどではないが蒸し暑い。

二日目は結婚式なので走る時間は作れなかった。三日目は朝のうちに走った。するとランナーがすごーくたくさんいた。人種も多彩。日本人やコリアンはじめアジア系がやや多い気もするが、地元民っぽい方、グアム駐留USアーミーっぽい方含め屈強そうなアメリカ人がいっぱい。なんとなく目が合って、あいさつができる方もいる。ハローとかグッモーニンとか。四日目はやっぱり朝のうちに、今回ここで結婚式を挙げた次男と一緒に走った。世間一般的な妻の取り扱いについてレクチャーしておいた。

 

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街並みは色使いの綺麗な建物も多く、樹木や花にしても南国らしさに溢れ、文字どおり日本にはない非日常空間を味わいながら気持ちよく走ったのは言うまでもない。雨の心配もほぼないし、滞在中もほんの少しの通り雨があったくらいだ。

けっきょく合わせても11kmほどしか走ってないのだが、旅のランは散歩気分のジョグだからいいのだ。

 

あと東京に独身の長男がいるんだが、いったいいつ結婚するやら分からない。そもそも相手がいるのかいないのかも不明である。