RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

旅のラン/グアム

次男がグアムで結婚式を挙げることになり、4月18日お互いの家族が南の島に集まった。

 

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二日目に海の見える教会(ルース・デ・アムール チャペル)で式を挙げ、三日目に海に出てスキューバダイビングやイルカウォッチングなどで遊んだ。僕たち夫婦とお嫁さんのお父さんは船上で大人しくイルカ探し、ほかのメンバーはアクティブメニューを楽しんだ。

四日目は島内をJTBの観光バスでまわり、太平洋戦争での日本軍との激戦の跡地や熱帯魚の見えるアクアパークなどを見学した。ホテルのプールやビーチは、あいた時間に楽しんだ。

 

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僕は旅に出ると仕事にしろプライベートにしろ、時間があれば走ることを信条としている。今回も息子の結婚式とはいえ、走る準備は滞在日数分用意してきた。初日は夕方に走ったが、観光客がそぞろ歩いているのですこし走りにくかった。ランナーも多少はいる。気温は27℃、湿度は70%程度だから、我慢できないほどではないが蒸し暑い。

二日目は結婚式なので走る時間は作れなかった。三日目は朝のうちに走った。するとランナーがすごーくたくさんいた。人種も多彩。日本人やコリアンはじめアジア系がやや多い気もするが、地元民っぽい方、グアム駐留USアーミーっぽい方含め屈強そうなアメリカ人がいっぱい。なんとなく目が合って、あいさつができる方もいる。ハローとかグッモーニンとか。四日目はやっぱり朝のうちに、今回ここで結婚式を挙げた次男と一緒に走った。世間一般的な妻の取り扱いについてレクチャーしておいた。

 

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街並みは色使いの綺麗な建物も多く、樹木や花にしても南国らしさに溢れ、文字どおり日本にはない非日常空間を味わいながら気持ちよく走ったのは言うまでもない。雨の心配もほぼないし、滞在中もほんの少しの通り雨があったくらいだ。

けっきょく合わせても11kmほどしか走ってないのだが、旅のランは散歩気分のジョグだからいいのだ。

 

あと東京に独身の長男がいるんだが、いったいいつ結婚するやら分からない。そもそも相手がいるのかいないのかも不明である。

旅のラン・2DAYS滝川

出張にからめて、時間があれば散歩的に走る「旅のラン」。

今回は滝川に行った。初日の昨日は思ったよりも早く仕事が片付いたので夕方にすこしだけ走った。たったの3kmだけど。

 

今朝のほうが時間をとれるのは分かっていたので、昨日は走らなくても良かったのだが、なにしろすこし汗をかいたほうが風呂も気持ちいいし、なによりビールが旨いじゃないか。という理由で走ったのである。それと滝川は石狩川空知川に挟まれたまちなので、両方の川を見てみたいなと思ったのだ。すなわち昨日は空知川を眺めに空知大橋までを往復などで走り、今朝は雪解けの豊かな水をたたえる石狩川の様子を石狩川橋でチェックしてきたのである。誰に頼まれたわけでもないが。

 

橋の上から見ると、河川敷の小道は氷雪混じりながらもなんとか走れるのではと思ったものだから行ってみたのだけれど、ぜーんぜんダメだった。そもそも黒く濡れたように見えていたのは砂利道だったし、上から見えていた範囲の向こう側はその道らしきものがどんどんなくなっていったのだ。積雪にしろ氷にしろ硬さがあればまだしも、緩いものだからじゅくじゅくとシューズに水が浸みてくる。やがて水没しなければ前に進めなくなってきたから、引き返すか、道を外れて雪原に入るしかなくなった。もちろん僕の辞書に後退という文字はない。しかし、とうぜん走れるわけがない。つぼ足でずぼずぼと前へ一歩ずつ歩く。

 

やがて目の前にゲートみたいなものがあらわれ、そこを超えるとアスファルトが露出した道につうじた。そこからはようやく快適なランになり、昨日飛行機に乗せてもらったスカイミュージアムにたどり着いた。あとは市街地にでてホテルまで戻ったのだった。8kmなり。

 

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空知大橋からの空知川

 

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石狩川橋からの悠久の石狩川

 

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あるように見える河川敷の道

 

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ようするに、ここまでは道なき道だったのさ

 

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中は見学できるスカイミュージアム(有料)

 

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昨日の写真だけど、飛行機やグライダーなど、ところ狭しと収納された格納庫

熊本城マラソン2019 − だいたい走った

なぜ僕がマラソンを走ろうとすると、こうも体調を崩したり、怪我をしたりするのだろうか。昨年の東京マラソン然り、今回の熊本城マラソンもそうだ。思い返せばこれまでの多くのマラソンでもアクシデントがあった。走る前だったりレース中だったりはするが、いろいろな辛酸を舐めてきた。なんだかんだ言って本当は走りたくないんだろうか。マラソンって辛いし。学校に行きたくない子どもはお腹が痛くなるように。

 

師走の26日に布団を敷こうとして発症したギックリ腰。痛みがほぼ治まり、ウォーキングのようなランを再開したのが年明けの9日だった。そこから数回のランを重ね、たしょうは距離もかせぎつつ、ようやく熊本城マラソンへ向けてコンディションを整えようとしていた大切な時期に再び不幸が襲いかかる。自業自得とはいえ、酔っぱらって布団に倒れこんだ際に左手小指を骨折したのだ。どちらも布団が絡んでいるので、布団の呪いかもしれない。

骨がくっつくのに最低3週間くらいと医者に言われたが、固定治療を施してから数えてマラソン当日は19日目だった。けっきょく治りきることはなかったので、左手は包帯を巻いたまま走ることになった。まあ、目立つのでほかのランナーに対する自衛にはなる。

 

宿泊しているホテルからスタート会場の熊本市役所までは数分なので、すべての準備を整えてから出発する。わずかな荷物を預けてすぐにスタート待機列に並んだ。北海道コンサドーレ札幌のレプリカを着ていたので、すぐ後ろにいた方から「札幌からですか?」と声をかけられ、「僕は長崎からなんです、鈴木武蔵をよろしく」と、しばしサッカーの話題で盛りあがった。例によって関係者のあいさつが続くが、市長の「すっすっーはーはーと頑張って走ってください、私は走りませんが!」には笑わせててもらった。日本のマラソンの父、「いだてん」の金栗四三は熊本出身なのだ。


北海道から来ると熊本はもちろん暖かいのだが、路上で数十分じっと待たされているとこの季節はやっぱり寒い。ようやく号砲が鳴り少しずつ前に進み始めると、壇上には石川さゆりさんやくまモンがいて、スタートを見送ってくれていた。

1500人が走るというファンランの待機列もフルマラソンとは少し離れて並列しているのだが、この見送り声援もけっこうアツくて感動した。おそらくフルには家族や友人が走るのだと思う。くわえて遠方からの参加ランナーへもアツいエールを送ってくれているのに違いない。もちろん沿道の応援もびっくりするほど大きい。

 

前日の受付会場で、フィニッシュタイム予想時間を表示して写真を撮ってくれるサービスがあり、いろいろ事情のある僕は、5時間55分00秒で申告した。なので、速く走ろうという気はまったくない。ひたすら完走のみが目標なのである。かといって、チンタラと走っていたのでもない。いま走れるベストを尽くし、より大会を楽しんで帰ろうと思っていた。これ以上のけがを重ねぬよう注意をしながらである。

 

18kmまではだいたい7分を切るくらい、その後は少しずつペースが落ちていった。予想どおり、予定どおりである。そんなワケでレース中のエピソードはラン以外だけになってしまう。途中の給食はほとんど寄っていった。普通の給食のほか地元産フルーツ、スイーツ、くまモンクッキー、大平燕(タイピーエン)などたくさん食べた。

 

何を着て走るか悩んだ末に、やっぱり札幌から来たよというアピールのため、コンサドーレ札幌の赤黒レプリカユニにしたのだが、怪我をしている左手では沿道の子どもたちとのハイタッチができないので、真ん中寄りを走っていたせいもあり認識率は低かったようだ。とくに前半はそうだ。後半、ランナーがすこしバラけてくると、分かってくれる方が増えてきた。それでも東京に比べると「白い恋人」の認知は少ない。胸のロゴを見て声をかけてくれるものの、それが何かは分かってない方が多い気がする。もちろんそれが北海道の有名な菓子と知っていての声援もあった。そもそも熊本にはロアッソ熊本という地元Jリーグチームがあり、そのユニフォームも赤黒のため、間違える方も多かった。「ロアッソがんばれー、あ、違った」である。しかし、当然だがロアッソを応援しているサポーター(レプリカかグッズを身につけている)は、J1の札幌のユニは分かってくださる。うれしい。

 

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ファンランの列からも大きな声援をいただく

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石川さんは熊本の歌(火の国へ)を歌った縁での応援大使かな

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北と南の赤黒の仲間です

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人の応援してる場合じゃないんだけど

 

沿道の応援が途切れる場所ではカカシがおおぜい応援していた。例によってスタッフ(もちろん女子高生)に写真を撮ってもらったり、ロアッソ熊本サポと交流(熊本で♪We are Sapporo聞けるとは!)したり、太鼓を叩いたり(じいちゃん、ばあちゃんありがとう)しながら楽しく走ったのだった。約6時間も。

 

そういえば、地元テレビ局のHTUだったか、この大会を5時間超も「生中継」していたそうだ。ということは、けっこう遅い市民ランナーまでも映していたんだろうと思う。あとで見ると、ホームページにはフィニッシュの様子も完走タイム別に最終ランナーまでアップされていた。

けっきょくゴールタイムは、5時間55分56秒だった。あと1秒速ければ5が5つ並んだのに残念だ。完走証やメダルのほか、みかんなどいろいろなものをいただいた。荷物を受けとったあとは足を引きずりホテルへ直帰。風呂とストレッチを済ませるとベッドに倒れこんだのだった。おしまい。

 

骨が折れたんだけど – Road to 熊本城マラソン2019 – 2

骨折した。 

 

3週間後に熊本マラソン2019が開催だというのに骨折した。

 

左手小指付け根の関節が、ずれるように難しく骨折しているとレントゲン写真が物語っていた。骨まであらわに見せた手のセルフヌードを看護師さんに見られたので、ちょっと恥ずかしかったが、そんなことを言っている場合ではない。痛いのである。

 

3日前の土曜日にラン仲間との「うどんラン」(走ってうどんを食べて、また走って温泉に入ってから酒を飲む、という毎年恒例の冬のイベント)を楽しんだのだが、今回はちょっと飲みすぎて(2軒連続飲み放題みたいな酒)帰宅した僕はフラフラだったようだ。家人曰く、過去フラフラ帰宅3本の指に入る状態だったらしい。つまり真っすぐには歩けず、壁や棚に手をつきながら、最後は布団にばたーんとうつ伏せに倒れこんだというのである。僕が覚えていないので、嘘を言っているに違いないと思っていたが、あとから考えるとたぶんこのときに指を突いてしまったのだろう。

 

夜中に目が覚めたらひどく小指が痛かった。触ると腫れている。あー突き指か〜とガックリしたが、まだ酔っ払っていたので、小用のあとまたすぐに寝てしまった。シアワセなものである。ところが朝目覚めると、やっぱりまだ激しく痛い。これは医者に診てもらわねばと思ったが、残念ながら日曜日なので病院は休みだ。かといって整形外科の救急病院を探してでも行くほどではないか、と一日我慢したのだった。

 

翌朝一番で近所の病院へ行き、レントゲンを撮ると骨折が判明した。そう聞くと急に痛みが増すのはなんでだろう。しかし先に書いたように、小指付け根の関節がずれるように難しく骨折しているというので、手を専門にしている病院で診てもらったほうがいいと医者が言う。仕方がないので紹介された病院へ午後の予約を入れてもらった。

 

その病院では、治療方針として手術を積極的に勧められたが僕は断った。切られるのはイヤなのである。ギプスなどの固定治療を希望していたのだ。この状態の骨折で、固定治療での治癒後のデメリット(もとどおりにはならない可能性、変形で固まる可能性、小さな痛み・痺れが残る可能性があるなどなど)をたくさん言われたが断りとおした。たとえ指がすこし曲がってしまったとしても、きれいなグーが握れなくなっても、彼女と小指をじょうずに絡められなくなってもやむを得ない、と僕は考えたのだ。

 

固定治療ならどちらの病院で治療しますかと訊かれたので、自宅に近いもとの病院を指定し、今日そこで固定治療を施していただいた。これで3週間ほど固定する。そうよ。つまり熊本マラソンまでほぼ固定である。ちきしょー、グレてやる。

 

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来週中に経過観察としてレントゲンを撮り、様子をみることになった。お医者さんに熊本マラソンを3週間後に走るんです、軽いジョギングくらいなら走ってもいいですかと訴えたら困った顔をされてしまった。でも、ダメとは言わなかったぞ。2月17日までには、ちょっとくらいは走るんだ。

 

念のため痛みどめももらったし。

血と涙の赤い坂 — Road to 熊本城マラソン2019 

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熊本城は、慶長5年(1600年)加藤清正が築城した。寛永9年(1632年)には肥後54万石領主として細川忠利が入城。忠利は文武両道に励むよう家来に勧めており、足腰を鍛えるべく長距離を走らせることも奨励していた。しかも、ある日殿様は天守から領地を眺めているうち、どうせ走るなら競い合わせたほうがより鍛錬になるんじゃなか? と熊本弁で思いついてしまった。城門を出発地点とし、領地を10里ほど(40粁弱)走って城に戻る。沿道には幟が立ち並び、百姓には給水と給食を担わせることにした。経路は坂もある過酷なものとし、刻限までに城門へ戻れなかった者は切腹。最後の二の丸への急坂は、鍛練不足の武士(もののふ)の血で染まり妻子の涙で濡れた。これがこれまで歴史の陰に隠れてきた熊本城マラソンの事始めである。
平成24年に再開された本大会は今回で8回目になる。

 

・・・血に染まっただけに、ほとんど真っ赤な嘘である。

 

熊本城マラソン2019まであと一カ月となった。
暦を3週間ほどさかのぼるが、師走も押し迫った26日夜、布団を敷こうとしたときだった。寝間の空気を切り裂くように、僕の腰に電気が走った。あーっと手をやったが遅かった。すでに僕の神経は侵されていた。まずいと思いながらも、一縷の望みを抱いて歯も磨かずに、そのまま唸りながら静かに布団に入ったのだった。

 

しかし希望の朝はやってこなかった。この日から腰痛ベルトなしには過ごせなくなった。そもそもそれを巻いても5センチくらいずつしか歩けない。しかも何かにつかまりながらだ。この状態ではさすがに会社へは行けない。27、28日と会社を休んだ。仕事納めもあいさつも掃除もなしだ。ひたすら回復に努めたが、年齢とともにこういった症状の治りが悪くなっている。年が明けても家でおとなしくしているしかない。とうぜんランニングなんかできるワケがない。例年なら年末年始だけでも数十キロは走っているのに。

 

家にこもって酒を飲んで餅やおせちを食っていれば太る。6日には思いきって体重計にのってみた。2kgほど増えている。7日が仕事始めだったので、腰痛ベルトの助けを借りてなんとか出社はした。もちろんまだ走れない。8日には、ここ数ヶ月ずっと右ひじとスジが痛かったので整形外科受を受診した。なぜかテニス肘とゴルフ肘と診断されたが、ようするにパソコン作業のやりすぎだろう。べつに特効薬はないので湿布をもらい、エルボーサポーターを買った。腕に巻くベルトだ。腰も腕もベルトに支えられて生きる僕なのである。


ようやくランを再開したのは9日夜である。札幌ドームのナイトランで10周・7.2kmを超スロージョグした。その後は土・日にそろりそろり14km、7kmと雪道ランをおこなった。


そんなワケで、熊本城マラソン2019まであと一カ月しかない。たしょうは歩いてしまうかもしれないが、フルを完走できるところまでは復活したい。5時間をきるのは難しいだろうが、熊本城マラソンは制限刻限は7時間あるのだ。僕だって命は惜しい。

切腹は御免だ。

旅のラン、豊頃町の朝はつめたい

12月6日の旅のランを記録しておこう。今回は道東への出張にて、豊頃町を走った。

 

宿泊は、街で唯一あるいは数少ない(?)宿泊施設、豊頃ロイヤルホテル。丘の上にある。ホテルといっても、夏などは部活等の合宿にも利用されるところなので、リーズナブルであり、部屋にはトイレも風呂もない。つまりそういうところである。ま、仕事で来てるわけだし贅沢を言ってはいけない

 

しかし、ふつうの食事ができて大浴場もゆっくり入れるし、缶ビールの販売機もあるわけだし問題ない。

 朝は明るくなるのが遅いし、仕事始まりも遅めの設定になっていたので、朝食を食べてから走ることにしていた。

先に書いたとおり丘の上にあるホテルなので、車で上がってきた道を下って市街地方面を走ろうかなと思っていたが、フロントの方がグルーっと回れるよと教えてくれた。ホテルを中心として丘を上って下って周回できるのだ。合宿するチームもランニングに利用しているとか。

 

例によって写真を撮ったり、ウロウロしたり戻ったりとしながらゆっくりと走るので距離は稼げそうにない。天気はすこぶるいいし、気温もさほど下がってない。つまり気持ちいいランだった。

 

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ホテルの目の前は茂岩山自然公園で、キャンプ場がありバンガローもたくさん並んでいる。走り出しはじめはゆるゆるくねくね、まちを見おろしながら下りがつづく。市街地に出ると平坦だが、ホテルへの道に入ると激しい上り。この周回コース上にはりっぱな体育館や野球場があり、える夢館という図書館や郷土資料館のある施設、町役場などもある。さらに消防署、郵便局、くわえて飲食店もろもろも。つまりなにかと便利なランニングコースなのである。だからといって僕が朝はやくに用のあるところはないが。

 

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ところで、例によって写真を撮ったり寄り道したりしていると、急にスマホがブラックアウトした。あー、スマホが冷えすぎたんだなとすぐに気づいた。まったく学習能力がない。またやってしまった・・・。

 

旅のラン豊頃町・茂岩山自然公園キャンプ場付近と市街地を周遊にて4.6km。

昼に食べた豊頃名物・豚チャーハン。

 

旅のラン、熊の湯へは行けないよ

旅のラン。今回は八雲町熊石を走ってきた。

 

熊石は平成の大合併で八雲町になった町。噴火湾側の八雲地区と日本海側の熊石地区でニ海郡(ふたみぐん)八雲町となる。今回の仕事はその二つの地区にまたがったのだが、泊まりは熊石のひらたない荘にした。

出張の際、仕事に支障のない範囲でランニングも楽しむのが僕の旅ランだ。今回もとくに無理なく、その時間を確保した。

 

朝5時過ぎに宿を出て海のほうへ坂をくねくねと下っていくと、町の歴史記念館や青少年旅行村などがあり、いちおう寄り道しながらゆっくり走る。基本的に僕の旅ランは散歩に近いがそれでいいのだ。

 

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熊石歴史記念館/青少年旅行村


海沿いの道へ出ると右に走った。下調べをしてから宿を出てきたわけではないが、たぶん港のある方向だ。じっさい少し走ると、港から海へ出るあたりの目印となる小さめの灯台が二基見えた。雲は多いが今日は晴れの予報が出ている。

 

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海洋深層水交流館/熊石漁港

 

家の前を掃除していたおばあちゃんと朝の挨拶を交わす。津波の際の避難用と思われる高台への梯子や階段がいたるところにある。漁具屋さんはもう営業しているように見える。熊石海洋深層水の施設もあった。港では数人が釣りをしていた。

ここまで3.5km、今日の行動予定からすると引きかえす時間である。帰る途中に山門がありちょっと寄ってみた。道南霊場門昌庵の札もある。(門昌庵事件

 

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門昌庵/熊の湯閉鎖中

 

来た道を戻って坂を上り、宿の前も通り過ぎると「熊の湯」へ行けるはずだった。ところが先日の台風の影響でか、樹木の倒壊か道の損壊、あるいはその両方か分からないが閉鎖になっていた。残念だが大人の常識人である僕は、そのゲートを突破する勇気いや無茶、蛮行はできなかった。ま、当然だが残念だ。熊の湯でクマとの混浴を目論んでいた僕なのに。

 

宿に戻って昨日から3回めとなる温泉に入り、旅のラン7kmを終了した。