RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

来年もよろしく。

そろそろ何か書かなきゃな……と思いつつも、前回の投稿から多くの日々が飛んでいった。なんぼなんででも月イチはノルマでしょと自戒していた。何度かは書きかけたのだが途中で消したりもした。別に内容の濃いものを書こうとしているわけではないんだけど。

 

それでも今年はもう手仕舞いなのだから、(ランナー的には)何も成果のなかった年だけれども、なにかしら書き留めておこうと思う。けっきょく3か月近くぶりの投稿になる。

 

JOGNOTEによると、今日現在で今年の総走行距離はなんと892kmだった。衝撃的だ。かなり少ないだろうなとは思っていたが、いま調べてみて愕然とした。234101112月はほとんど走ってない。この6か月は合計でも130kmを超えるていどだ。例年自慢できるほど走行距離を誇っているわけではないが、走り始めて10数年こんなに少ないのはたぶん初めてなのである。

 

しかたない、と言えるところはある。春は家人が雪解けの横断歩道で転び複雑骨折し、そのショックで僕が走れなくなってしまったのだ。メンタル的なそれにくわえ、一人暮らしの家事や病院の行き来と用事、もちろん仕事もあるわけで、まったく余裕がなくなってしまった。10月からの3か月は、別海パイロットマラソン前の風邪がきっかけだ。もともとあった持病的な腰痛も加わり、しかもモチベーションがなくなってしまったのだ。

 

だが、そんな2016年は今日までなのだから、来年は気持ちを切り替えて、もう少したくさん走りたい。

正直なところ自己ベストの更新とかサブフォーとかは限りなく無理っぽい。記録のピークは、(たいしたことはないけれど)フル、ハーフともに2008年の記録がベストだから、この8年は進歩していない。劣化し続けているといっていい。まあこんなことをいくら書き綴っても仕方ない。

 

もともと、より速くとか、より遠くへとかを考えて走ってきたわけではない。出っ張ってきた腹をへこましたいとか、仕事のストレスを解消したいとか、もう少し健康でありたいといった動機で始めたランニングだ。2004年頃から走り始めて12年。記録的なものをめざさないのなら、99歳まで走るとすればあと37年(!)、記憶に残るような愉しいランを残していきたいと思う大晦日なのである。

 

といった矢先に、今日駐車場で転んでしまい、前頭部と右膝、両手指を打撲・擦過傷により怪我してしまった。少なくとも三が日あたりの走り初(ぞ)めは無理だね……。ズキズキ。

 

そんなわけで、今年はたいへんお世話になりました。

来年はもっとお世話になりたいnaviです。

(せめて月イチアップの投稿をめざそう)

 

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写真はへろへろの5時間超で完走した6月の函館マラソン。

2016 傷心の別海パイロットマラソン

前回「あと10日。別海パイロットマラソン」をアップしたので、大会の結果というかコトの顛末を忘れないうちに書こうと思う。

といっても、じつはできれば忘れてしまいたいんだけど。

 

年齢を重ねるにしたがい膝や腰や股関節などあちこち痛みの連鎖があり、なかなか「普通」に走ることさえ難しいのだが、今年の別海はすこしだけ「普通」に近い状態だ。もちろん50代の全盛期(?)にはほど遠いが、昨年や一昨年よりは走れるような気はする。別海ベストが出るとすごくうれしいけれど、そこまでいける自信はない。しかし楽しんで完走したいとは思う

 

などと希望的な記事を書けたのは、10日前だからである。

9月22日のランで雨の中10kmとすこしを走り、24日のランでも雨にぬれて以来ちょっと風邪気味になったのだが、気にすると風邪を呼び込んでしまうので大丈夫と暗示をかけていた。にもかかわらず、数日前から体調がアヤシクなってきた。

病院と薬はあまり好きではないので、暖かくして寝るとかビタミンCを積極的にとるとか、ニンニクやショウガを摂取するとかして土曜日を迎えたのだが治らなかった。

 

基本的に僕は運転が好きではない。しかし、誰かの車に便乗するとか、列車にするとか、都市間バスにするとか、飛行機にするとか考えたけれど、どうもいまひとつフィットしない。仕方がないので自分の車(ちなみにホンダのFIT)で往復することになった。

 

もうひとつ言うと、僕は高速道路があまり好きではない。急いでいるとかどうしても必要なとき以外は、だいたい下の道を行く。とうぜん今回もそうしようとしたが、先日の台風・大雨のせいで日勝峠が崩壊し通れなくなった。好むと好まざるにかかわらず利用することになった。

 

占冠インター~音更帯広ジャンクションの区間が無料になるというけれど、R274から占冠インターへの入り口がよく分からないので(僕はカーナビを使ってない)、分かりやすい夕張インターから入った。で、占冠で高速から下りてこの分の料金を払う。1回下りて、占冠道の駅でトイレタイム。そのまままた高速へ入る。そうすると音更帯広までは無料になるわけだ。音更帯広で下りると士幌・足寄を通って摩周まわりで別海方面へ行けばいいと思っていた。

 

しかし、ふだん高速に乗り馴れていない僕は、音更帯広=士幌とインプットされていた。しかも音更帯広ジャンクションと帯広ジャンクションの区別もついていなかった。いつまでも「士幌インター」がないなーと思っているうちに、なんかオカシクないかと「早めに」気づいてしまった。そこに「帯広ジャンクション」である。そうか、「士幌インター」ではなかったんだなと合点してしまう。

なにしろこのへんの道東高速道では、どこかに停車して確認することが容易ではない。とうぜんそこで下りてしまう。下りてから今度は何を勘違いしたか、間違って中札内方面へ向かってしまった。だが、さすがに途中で気づき方向転換し、池田経由でとりあえず足寄を目指した。

足寄道の駅での昼食は、前にも食べたカツミートスパゲティ。ボリュームもあって美味しい。僕の脳と鼻は潤んでいるが、天気だけはすこぶる良い。摩周道の駅では、偶然しばさんとミッチさんに会った。

 

けっきょく別海の受付を済ませ、中標津の宿「ビジネス旅館・白川」に到着したのは夕方5時だった。ただでさえ安い宿泊費(1泊2食4,800円)なのに、粗品のタオルと標津羊羹一竿をいただいた(さっき食べたけど美味かった)。夕飯はたぶん同じ経営の隣のお食事どころ「とらや」で1,200円分までのメニューから選べる。僕は和風おろしハンバーグ定食にした。ふつうに美味い。風邪ひいてるようだし(?)、明日はフルマラソンだし、せっかくなのでノーアルコールデーにする。部屋にもどり、明日の準備と今夜寝てる間に元気になりますようにとお祈りして布団に入ったのであった。

 

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6時過ぎに目が覚めた。優先順位としては後回しだったようで、僕の祈りは神さまに届かなかった。悪化しているようでさえある。しかし、大丈夫。走ってるうちに治せばよい。7時前にご飯を食べ、7時半過ぎに宿をでた。

 

30分ちょい程度で会場に着く。駐車場に車を停め、さてと思ったときに電話が鳴った。番号を見るとしらない番号だ。しかし、電撃的にはっと思い出した。コンセントにスマホの充電器をつけたまま部屋を出てきたことを。電話に出ると宿の方だった。「今、部屋の掃除をしていたら忘れ物がありました」。瞬間的にいろいろ考えた。走り終わってからとりに戻るか、宿から着払いで自宅に送ってもらうか、いやいや時間はまだかろうじてあるから今すぐ引き返すか。しかし走り終わってからでは、この日泊まるホテルの到着が予定よりも大幅に遅れることになるし、着払いで送ってもらうにも大変な面倒をかけてしまう。あの老夫婦にそんなことは頼めない。けっきょく、いちばんあとの案にした。

 

駐車場を出ようとすると、ここは入口なので向こうから出てくれと言われる。大急ぎで戻ろうとするも、ぞくぞくと会場入りする車が多く、宿に向かう道もこういうときに限って遅い車がある。イライラしながらもやっと戻り忘れ物を受け取る。ついでにトイレを借り(会場のトイレはきっと混んでいる)、礼を言ってから大急ぎでもと来た道を引き返した。

 

駐車場に戻ると、さっき停めたところよりもずっとずっと遠いところに駐車するはめになった。仕方がないが。

ウェアは風邪のことも考えて、昨夜のうちに長袖プラス半袖(こっちにゼッケン)のつもりでいたのだが、気温が高くなりそうなので長袖を脱ぎ半袖のみにした。会場のスタート地点まで歩くのだが、すでに20分前だ。まあ20分もあるといえばあるのだが。

 

列の中に入ると茄子の皮が剥けたなすびさんと赤黒のくろいぬさんを見つけた。だが、スタートまでの時間が長い。なかなかスタートしない。これならもっとゆっくり行動しても良かったじゃないか。と言っているうちに、お約束のようにいきなりマラソンはスタートした。

 

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……そんなワケで僕の別海パイロットマラソンは終わった。

 

 

ま、さほど記録せねばならぬほどの中味がないということである。

まずまず走れたのは10数kmまで。その後はずるずる。折り返しまでの長いこと長いこと。ようやく半分を過ぎてからは坂を転げるようにペースが落ち、やがて歩きも交えながら騙しだまし走ったものの、30km関門までが限界だった。

 

別海マラソンにも収容バスがあるとは認識していなかったが、しばらく待っているとバスに乗れた。バスの車内は暖かかった。車窓から別海の景色やボランティアの方々、応援の住民のみなさんの顔を見ていると悲しくなった。ごめん、完走できなくて。ちょっと風邪気味だったんで。僕の脳内には、かつて初北海道マラソン(もちろん途中関門で収容された)の打ち上げで歌った「バスストップ」が流れていた。♪バスを待つ間に涙を拭くわー。バスはじつにゆっくりと会場に戻るのだった。

 

バスを降りると寒かった。フィニッシュ地点に行っても誰もいないだろうし、完走してないから鮭ももらえないし、とうぜん完走大判バスタオルもいただけない。寒いのに。風邪をさらに悪化させたくはない(すでに手遅れだが)ので、参加賞の乳製品をうけとり、まっすぐ車に戻った。といってもすごく遠いけど。

 

この日は士幌温泉泊まりだった。夕食の時間が7時半までだったので急いで向かわねばならない。ところが、ここでもまた僕は道を間違えたのだった。ぼーっとしてたワケではないつもりだったが、気がつくと釧路に向かっていた。え?と思ったが後の祭り。遠くはなるが、やむを得ず釧路・標茶方面まわりで士幌に向かった。

 

だが、苦難はさらに続く。ガソリンだ。ものすごく減っている。なにしろ、予定よりもいろいろと回り道をしたり、余計な往復をしたうえ、また遠回りしているのだ。愛車はフィットだし、札幌を出発前に満タンにしたので、あわよくば往復できるかなと考えていたのだが。ガソリンスタンドはまったく見当たらない。だが時間もないし無料区間道東道に入ることにした。しかし高速道路は高速で走らねばならない。でも高速で走るとガソリンが減る。後ろはあまり見ないことにした。制限速度の70キロで走行することにする。むろん基本は一本道なので、追越し区間以外、後続車は僕を追い越せない。背に腹はかえられない。緊急事態なのだ。後ろは見ないことにしていたが、どうしてもサイドミラーにヘッドライトが映る。リアウィンドウに「緊急事態!燃料僅少!」と電光掲示して走りたい。

 

燃料メーターはみるみる減っていく。なんとか士幌…じゃなかった音更帯広ジャンクションにたどり着いたのは、メーターの目盛が、残り「2」を刻んでからすでにかなりの距離を走ったあとだった。高速を下りてから温泉までの距離はよく分からないけど、そろそろと走るしかない。そんな僕の気持ちも知らずに、目盛はとうとう「1」になった。ホテルはまだ遠い。と、突然キタキツネが道をよこぎった。急ブレーキを踏んだ。危ないじゃないか、ガソリンも無駄に減るし。

 

ホテルの看板が見えたときには助かったと思った。だが7時が過ぎていた。あとはホテルの方に事情を話して、明朝にでもすぐ近くにガソリンスタンドがないか、なければホテルの車のガソリンを分けてもらえないか頼むしかない。

 

が、ガソリンも減ったがとりあえず腹も減った。夕食は7時半には着席してくれと言われていたが、その前にさっとでも風呂に入りたい。なにしろ走った後の汗を流していないのだ。夕食はお高めのメニューにしていたので、すこしでもゆっくりと食べたかったから、なんとかもうちょっと遅めにとお願いをして7時40分で手を打った。それでも特急で風呂に入らねばならないのは同じである。風呂場にいたのはたぶん10分以内だ。

 

ちょっとお高め、のメニューは鍋料理が士幌牛のすき焼きになる。よくわからないが、スパークリングワインと記念写真をプレゼントしてくれる。ネットで予約した際、ほかにも特典があり、ホテル内で使える商品券1,000円分もいただいた。これを使って別にビールもつけた。しかし遅く食べる客は僕一人でなんだか申し訳ない。あまりゆっくりはできずに食事を終え、部屋に戻るとアルコールのせいもありもうへとへとだった。もう一度風呂に行く元気もなく、そもそも風邪をひいてしまっているのだから、テレビも見ずにそうそうに布団に入ってしまった。

 

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翌朝までそれなりに寝たが、風邪が治ったワケはない。とりあえずモトをとらねばと朝風呂に向かい、昨夜よりはゆっくりと入った。温泉効果で速攻治るといいのだけど。

駐車場に停めた車の中のものを取りに行ったとき、エントランスを掃除していたおじさんにガソリンスタンドの場所を尋ねてみた。昨夜スマホで調べたときには、すぐ近くに農協かなにかのスタンドのようなものがあったのだが、道路に出てちょっと見た限りでは見当たらなかったのだ。だがそれは今はやってないというではないか。一番近いのは12kmくらい先のところで、セルフならさらにあと2kmいけばあると言う。いやいやもうセルフなんて望みませぬ。12km。かなりきびしい。しかしイケないこともないかもしれない。とにかく目盛は「1」あるのだ。

 

朝食バイキングをすませ、部屋ですこしゆっくりしたあと、ガソリンスタンドのない砂漠に出るような気持ちでホテルを出発した。と間もなく、目盛がとうとう無くなってしまった。ゼロである。表示なし。もう、超、そろそろである。時速40~50キロ。だが車が後ろに付く。しかたないので減速し左に寄って追い越させる。しかし、ほどなくまた車が迫ってくる。追い越させる。また来る。でも、これっていちおう減速して加速するのだから燃料使うよね、いいのかこれで? などとしばし葛藤しつつも静かに静かに進んだのだ。

 

出光ガソリンのマークが見えたときは心の底からほっとした。12kmと言っていたが、じっさいは10km程度だった。出光のおじさんは鼻歌まじりに軽快に燃料を入れてくれた。その後、元気になったフィットで占冠まで高速を使い、274号線で一路札幌へと向かったのである。

 

帰宅後、家人にこの3日間のみやげ話をすると、一人でも珍道中なんだねと笑われる始末なのであった。

 

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おしまい。

あと10日。別海パイロットマラソン

前回の記事からまた1ヶ月経ってしまった。

せめて月一くらいはアップしないとなーとは思っているので、今日はあと10日に迫った別海パイロットマラソンのことを書くことにする。

 

別海パイロットマラソンは、はっきり言うと地元や周辺地域以外のランナーは参加しにくい大会である(個人の感想です)。いまひとつ交通の便が悪いのだ。札幌から行くには釧路までの都市間バスまたはJR+有料シャトルバスなど、あるいは飛行機で中標津空港か釧路空港+路線バスなど、あるいはマイカーかレンタカーとなる(が400km以上ある)。当日帰りなのか後泊するかにもよるが、バスは本数が少なく時間の融通があまりきかないので、いろいろスケジュールの制約があるのだ。道外からの参加にしても同様である。もっとも都市マラソンでない限りは、どこの地方大会も似たようなものかもしれないけれど。

 

しかし別海パイロットマラソンは、参加者には地元特産の乳製品詰合せ、完走者には別海町産鮭丸ごと1尾(箱入)、オリジナル特大バスタオルなど豪華な景品がある。ゴール後はスポーツドリンク・牛乳・秋味鍋・豚汁の無料提供もあるし、前日の開会式では抽選によるプレゼントもある。これで参加費5,000円なので、とても魅力的な大会ではあるのだが。

 

2013年に初参加してから今年でもう4年目になる。過去3回の結果については、ここに誇らしげに記すほどの数字はなにもない。が、今年はどんな走りを目指すのかと考えたときに、反省を含めて振り返るのもいいかもしれないので、JOG NOTEの記録を調べてみた。

 

制限時間5時間20分なので過去3回とも完走はしている。

初参加の2013年は4時間35分。ゴールの1キロちょっと前で、名前を呼ばれ振り返った瞬間に足を攣っている。沿道で応援をしてくれていた女性が名簿を見ながらゼッケンで名前を確認していたと思われるが、僕としては誰か知り合いに呼ばれたかと思い不自然に体をねじって振り返った結果だ。倒れた僕を近くの方たちが介抱してくれた思い出がある。しかし足が攣らなければ、たぶん4時間20分くらいでゴールしていたのではと思う(ホントか?)。

 

2014年は5時間6分だがまた足を攣った。2015年は足を攣らなかったのに5時間5分。まあ要するに、結果の出ていない大会なのである。

 

別海のコースはフラットなのでいいタイムが出るよ、と誰かに聞いたのが初参加のきっかけだったのに、残念ながらいいタイムを出したことのない大会なのだ。この大会に限らず、年齢を重ねるにしたがい膝や腰や股関節などあちこち痛みの連鎖があり、なかなか「普通」に走ることさえ難しいのだが、今年の別海はすこしだけ「普通」に近い状態だ。もちろん50代の全盛期(?)にはほど遠いが、昨年や一昨年よりは走れるような気はする。別海ベストが出るとすごくうれしいけれど、そこまでいける自信はない。しかし楽しんで完走したいとは思う。

 

移動手段はいろいろ悩んだが、今年は初めて自分の車で往復することにした。月曜日は仕事を休むことにしたので、ゴール後は士幌まで移動し温泉泊にした。ぜひとも気持ちよく走って、ゆっくりと温泉に浸かりたいものである。

 

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昨年の様子(スタート前)

 

 

 

 

 

 

K・A・R・E・I・な臭い

ここのところ毎日蒸し暑く、窓から風を通したり、扇風機や団扇をパタパタしている我家である。気温そのものはそうでもないが、とにかく湿度が高い日々がつづいている。

 

そんな中、昨日も午前中に21km走ってきた。帰宅直後は滝汗だ。ウェアを脱ぐと、家人が鼻を曲げて悲鳴をあげた。「今までで一番臭い!」

 なにごとも一番が良い   わけではない。

ランニング時の汗に関しては、とくにここ一、二年は走りながら自分でも臭いに気づく(!)ことがあるくらいだから、家人はともかく(?)他人に与える悪臭はいかばかりかと、時と場合によってはたいへん恐縮する。だから信号待ちでも人とはできるだけ離れ、アイスの購入などコンビニでも小さくなって(何の意味がある?)いる。

 

僕の汗かきは更年期以降、還暦を過ぎてますますパワーアップしているようだ。

ネットでそのへんの事柄を検索してみると、いろいろと原因や対策などの記事はあるが、つまるところ決定的な予防法などなさそうだ。要は加齢によるものだから、ある程度は仕方がないではないか。 と開き直る。

 

食事で改善なんてのもあるが、酒・たばこ・コーヒーなどをやらなくても臭くなる人はいるし、揚物や肉は食べ過ぎないようにとか、野菜を多く摂ると良いといっても、それでしっかり改善されたとは聞いたことがない。そもそも食事内容を極端にあれこれ制限するというのは僕の生き方に反する。 と開き直る。

 

ストレスや疲れは貯めこまないとか、シャワーじゃなく風呂に浸かって汗腺を開くようにとか、消臭成分を含む石鹸を使用するとかも聞くが、効果のほどはどうなのだろう。 と開き直る。

 

調べていて分かったことがある。

古いウェアは臭いが染み込んでしまっていること。とくにドライ系のウェアは、毛細管現象を利用して汗をすぐに吸いあげ、水分を飛ばすように設計されているので、繊維の中に汗の内容物が残りやすいのである。なので、洗濯時には酸素系のワイドハイターなどを使うと良いらしい。

 

しかし、家人に聞いてみるとそれはちゃんと使っていると言っていた。つまり、やはり、僕の汗の臭いはただ単に加齢によるものなのだろう。とくに走ったあとの汗の臭いは最悪だ。

 

ところが。

今日、仕事から帰宅して家人に至近距離で汗の臭いをくんくんと嗅いでもらうと、臭くないというではないか。ちなみに家人は戌年(いぬどし)生まれである。夕方の湿度は90%を超えていた。じとじとっと汗びっしょりだったにも関わらずだ。つまり、ふだんの汗はさほど臭くはないらしいのだ。

 

運動時の汗の臭いがクサイのである。(だから救われるということではないが)

そのことを自覚して生きていこうと、つよく思う今日この頃なのであった。

 

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2016 hakodate

7月のこと

まったく毎日があっという間に過ぎてゆく。

気がついたらもう月末だ。はてなブログからも「元気か? 生きてるなら、そろそろ次の記事を投稿しろや、ボケ!」とメールがくる始末である。書くネタがないなら、近況でもいいからこの1ヶ月のことでも書いとけと。言われてみれば、たしかに前回の投稿が6月30日だ。

 

というわけで、2016年7月を振り返ったときの備忘録みたいなものを書いておく。ツイッターiPhoneの写真でさかのぼるような作業だし、おもに自分用メモにしか過ぎない。

 

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 ▲幌見峠ラベンダー畑

 

7月1日/RUNだむ日記【Returns!】に2005年1月の日記を投稿。

 

7月2日/手稲の母のところの帰りに、紅麹屋で夕食。酢辣タンメン辛度4だけど辛みをすこし減らしてもらう。

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RUNだむ日記【Returns!】に2005年1月の日記を投稿。

 

7月3日/ファイターズ、アウエーでホークスに3タテをくらわす。

 

7月5日/RUNだむ日記【Returns!】に2005年1月の日記を投稿。

 

7月6日/函館マラソン以来のラン。帰宅ランでの9kmだけど。

 

7月8日/仕事が早く終わったし、ビール半額デーだったので札幌ドーム、ファイターズvsマリーンズ戦。12-3で大勝。

 

7月10日/町内会のイベントでアサヒビール園。ビンゴ大会で僕が3等賞、家人が5等賞。中味は二人合わせて4千円の商品券。

 

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7月14日/帰宅ラン。腰が痛いのでショートコースを走って6km。

 

7月18日/21kmランだけど、さいごは4kmの歩き。こんなに歩いたのは記憶にない。ガリガリ君とコーラでも復活できなかった。

それでも夜には札幌ドームでファイターズ観戦。3-1で勝利。

 

7月20日/札幌ドームでコンサドーレ観戦。松本山雅に1-0勝利。首位を堅持。

 

7月23日/幌見峠ラベンダーラン。峠を目指すから、とうぜん坂がきつい。たまゆらで汗を流した後は札幌駅アピア・エビスバーで飲み放題。酔っぱらって帰宅すると家の鍵がないことに気づく。

 

7月25日/札幌ドームでコンサドーレ観戦。ラモス監督が解任されたばかりのFC岐阜に5-0で大勝。

 

7月26日/帰宅ランで9km。ノーアルコールデーを達成。

 

7月27日/北海道新聞「朝の食卓」に家人のコラム(横断歩道)掲載。

 

7月28日/アマゾンで購入した「文藝春秋・ベストセレクション」が届く。

 

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7月29日/札幌ドーム、ファイターズvsホークス観戦。3連戦の初戦はとりたかったが、4-6で敗戦。ドームにジャンパーを忘れて帰宅した。

 

7月30日/10km走る。忘れ物のジャンパーの件でドームに電話すると、数時間後に、ありましたと連絡があり受け取りにいく。夕食はうなぎ。

 

7月31日/21km走ったが、暑くて蒸してて最後は歩きも。熱中症になりそうだった。今夜は松尾ジンギスカンコンサドーレレノファ山口に2−1で勝利。今週も首位を堅持し、さらに2位以下に差をつけた。めでたい。

 

こうやって書いてると、たしょう走ってもいるけど、近いとはいえ、やけに札幌ドームに通ってる。

 

さて。8月は暑くなるのかな?

函館マラソンのこと・2

ゴールするとスタッフの方が北海道新幹線グリーンのスポーツタオルを肩にかけてくれる。ゴールしたことを家人に電話で伝えると「完走したんだ!」と喜んでくれた。記録証はその場ですぐに発行される。正式には5時間10分37秒、ネットタイムは5時間7分13秒。全体の2601位、部門で300位。たしか3500人くらいが参加したと聞いているので、後ろにはまだまだたくさん、関門不通過や積極的リタイアした方もいるはずだ。女性スタッフに写真を撮ってくれませんかと頼むと気持ちよく引きうけてくれた。昨日アップした記事のゴール後の写真はそのうちの一枚だ。競技場には、ぎりぎりで最終関門をくぐり抜けたランナーがぞくぞくと帰ってくる。ぼろぼろに疲れた兵士たちはホームに帰ってきたのだ。僕は手を叩きながらその健闘をたたえつつ、預けていた荷物を受けとり、そのまま歩いてホテルにもどったのだった。
 
家人は、義父が生前タウン誌を編集していた頃のスタッフお二人と話していた。Iさんは先日大腸がんの抗がん剤治療を施したばかりで、以前お会いしたときよりもすっきりとお痩せになっていた。なにしろ僕が5時間もかけてマラソンを走ったので、前後の時間を合わせると7時間ほどの時間があったのだ。ほかにも函館の友人たちもホテルを訪ねてきてくれたので、退屈はしなかったもようだ。
 
トイレの個室で着替えて汗を拭き、昼食抜きでまっすぐ大沼へ向かうことにした。
今夜の宿は、函館大沼プリンスホテルだ。案内されて4階のスーペリアツイン・マウンテンサイド客室に入ると、昨年リニューアルしたばかりという室内設備もさることながら、大きな窓からの雄大な景色にワクワクした。
眼下には池があり鯉が優雅に泳いでいるのが見える。正面は駒ヶ岳の勇壮な稜線がくっきりと……と言いたいところだが、着いたときには半分雲がかかっていた。しかし明朝には美しい姿を見せてくれることになる。
すぐに温泉へ向かう。ここからも駒ヶ岳は正面に望める。5時間超のマラソンと風雨に疲れたカラダをゆっくりと温泉で癒した。
そういえば風呂場を出るとき、部屋から履いてきたちょっといい感じのタオル地スリッパがなくなっていた。普通の客室スリッパと今回泊まった少しVIPな客室ではスリッパも違うのだった。ちゃんと番号付きのクリップで留めるスタイルの下駄箱だったのだが。せっかくの気持いいスリッパだったので、部屋に戻ってからフロントにわけを話して新しいのを用意してもらった。
 

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(部屋にはコーヒーマシンも)
 
夕食をつけると本格的なディナーになってしまい、いきなり高くなるから朝食付きプランにしてある。このへんが貧乏くさい。夕食はひさしぶりに「ケルン」でハンバーグを食べようと電話してみたが、1時間待ちと言われ断念した。予約は受けないのだ。じゃあ、たまに「ラッキーピエロ」でも、ということになり行ってみた。しかしここも混んでいる。つまり函館マラソン組も含め、函館競馬もあるし新幹線で道南観光組もいるだろうし、周辺飲食店はいつもよりさらに混んでいるというわけだ。しかたがないので、列に並びハンバーグなどを食べたが、ケルンのハンバーグを想定していた脳内は混乱し、ラッピの甘めの味では納得できないようだった。やはりケルンで1時間待てばよかったか。
 
ホテルにもどり、7時からは北海道コンサドーレ札幌vsザスパクサツ群馬のアウェー戦を持ち込んだPCでネット観戦した。1-0の勝利だったが缶ビール2本がひときわ旨かったのは言うまでもない。
 
翌日は朝風呂の露天に入った。うれしいことに駒ヶ岳はすっきりと姿を見せてくれた。するどい剣が峰から柔らかなな稜線まで、あますことなく初夏の艶姿を堪能した。細長い露天風呂の縁からは沼の水面が間近で、たくさんの鯉が泳いでいる。試しに湯を滴してみると、餌と勘違いした鯉が集まってきて口をパクパクする。ごめん。エサじゃない、ウソだよーんなどと言っていると、いずれ僕が鯉の餌にされかねない。やめとこう。
 

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駒ヶ岳くっきり&池のお掃除)
 
朝食ブッフェはパン食にした。敷地内にパン工房があるのでおいしいパンが食べられる。種類もたくさんある。山川牧場の牛乳は濃くておいしかった。
チェックアウトは12時なので部屋でゆっくりと過ごした。駐車場は家人が杖をついていたので、ホテルの方が至近にある場所を提供してくれていた。パン工房に寄ってみたが残念ながら商品は少なかった。先に出発した客がたくさん買っていったのだろう。
昨日とはうってかわり気持ちのよい空だ。そして往路と同じく、途中途中、休み休みしながら札幌へと向かったのだった。
 
帰宅する前に夕食を「和楽」ですませた。「函館で食べず札幌で寿司を食べるの巻」で、今回の旅はおしまいおしまい。

 

函館マラソンのこと・1

先日、といっても二週間以上前だが、函館マラソン関連の記事を書いた。書いたからには、それについての結果も書いたほうがいいか。

 

というわけで、26日の日曜日に函館を走ってきた。いろいろとあって、あまり練習ができないまま本番を迎えるので、良い記録は無理だ。完走だってどうだか怪しいと思っていたが、なんとか完走だけはした。5時間10分もかかったけど。

 

完走記を書く気はないので、あらましだけ。北海道民なら、その日は道南に限らずほぼ悪天候だったことは承知していると思う。数日前からの予報は傘や雨マークが連日しるされていた。昔のひとも言っている。天気予報は良い予報ははずれ、悪い予報は当たるものだ。

 

土曜日は午前6時に札幌を出発した。激しく降る雨と強風を含む、不安定なことこのうえない一日で、雨が上がる時間帯もあったが、おおむねひどい空だった。

道路には樹木の枝が折れ飛び重なっていたし、なにかヘンなものが飛んできてもおかしくはなかった。じっさい、八雲あたりでは対向車線でカモメが車にはねられ死んでいたし、僕の車にも風で飛翔不安定になったカモメが当たりそうになった。

 

家人の脚は立っているにしろ、歩いているにしろ、座っているにしろ同じ姿勢を続けていると病んでくるので、何度も休憩をしながら昼前に函館へ着いた。

 

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はじめに五稜郭の代志川(よしかわ)で昼食をとった。僕はカニクリームコロッケランチ、家人はひとくちハンバーグ。

 

つぎは墓参り。函館山の麓、外人墓地の近くにある墓地は海を見下ろす絶景のロケーションだ。風雨のせいか函館湾には見たこともないくらい船が停泊していた。ちょうど雨があがっていたので写真も撮れた。墓参り時はいつも晴れる。雨だったのは義母の納骨時だけである。入りたくなかったようだ。

 

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友人夫婦が良い席をキープしてくれたので、函館競馬場へ向かい合流した。ひさしぶりに会ったが相変わらず仲の良い夫婦だ。10、11レースの馬券を買い、メインの大沼ステークスを的中。すこしプラスで競馬場をあとにする。

 

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5時すぎにホテルへチェックイン。風呂に入ったあと、徒歩で千代台陸上競技場へ行き受付を済ませる。その足で夕食の「鯉之助」へ。ここのうなぎは蒸してから炭火で丁寧に焼くので、ひときわふんわりと柔らかく口に含むと身がとろけるように美味い。超大奮発で、上うな重、ビール付き。明日のフルマラソン42.195kmのスタミナをつけた。完走間違いなしだ。

 

翌朝はバイキングの和食にした。イカ刺しが美味い。たっぷりと食べて会場に向かう。家人は膝・脚の状態が良くないので、沿道での応援はしないことになっている。

ひとりで会場の千代台陸上競技場まで歩き、Fラン(走友会)の集合場所を探したが見つからなかった。サブトラックの横と聞いていたが、それがどこをさすのか分からなかった。スタートまで時間がないし、しかたがないので所定の場所に荷物を預けて、整列地点に並んだ。

 

スタートロスは3分。昨年まではハーフの大会だったので、フルとハーフを同時にスタートするスタイルは初めてなワケだから、参加人数のわりに、ロスタイムがすこし多かったかもしれない。

 大会そのものは、予定どおり不安定な天候に支配され、穏やかになる時間帯もあったが、激しい風雨にさらされた。

 

途中、知らん顔をして追い越したY氏を咎め、厳重注意をしたり、赤いバンダナとグリーンTシャツの派手なN町の朝ラン部部長Kさんを見かけたりした。どうやら東京のSママともすれ違っていたようだ。Nさんは沿道で僕を応援をしてくれるついでに、夫Y氏の応援もしていた。

 

個人的にはアップダウンのきついコースだと感じる。高低差は序盤の8キロから17キロくらいがきついが、もっと苦しいのは30キロの跨線橋からともえ大橋の往復だ。とくに復路の大橋は多くのランナーが歩いていた。見知らぬランナーと「きっついですねー」と話し、「ここはエスカレーターが必要だろ」と励ましあった。

 

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沿道の応援はほかの大会に比べても多いと思う。この悪天候でさえ感じるのだから。終盤にはふくらはぎが何度も吊りそうになったが耐えた。正確には関門閉鎖時間はまったく知らないのだが、たぶん大丈夫だろうと思いながら走った。ぎりぎりでも完走できそうな気はしていた。じっさい5時間10分(ネットで7分)でゴールすることはできたのだった。