布団と枕を濡らした夜のこと。東京マラソンまであと8日
東京マラソンまであと何日!とか、安全システムへの登録を!とか、アンケートに答えて!などと東京マラソン事務局から毎日のようにお知らせが来る。
元気で達者なら、ふむふむそーかいなと謙虚にも殊勝にも素直な気持ちでメールに目をとおすところだが、残念ながらこちとら少々こころが荒んでいる。
先週土曜日に床屋へ行ったのが間違いだった。この日以来、僕は風邪をひいた。この週は木曜日に帰宅ランをしており、土曜日のランはパスしても良かったので走らなかった。つまり今日で10日間まったくランニングしていないことになる。
走ってないことはまだいいのだ。それよりも、数日間熱を抱えて生活して(休めないので毎日仕事もして)いたので、夜は連日布団と枕を濡らしていたのである。あ、いや泣いていたわけではない。あ、えと、でも、心は泣いてたかもしれないが。汗をびっしょりかいていたのだ。
大げさではなく、文字どおり布団も枕も濡れた。夜中に起きて着替えることを数日続けた。シーツもタオルケットも枕カバーも取り替える。敷き布団も湿るが、これはとりあえずやむを得ない。ポジションを変えて横になる。朝になると布団乾燥機を入れて夜に備える。
この汗をかくことは通常の風邪なら、うまくいけば快方に向かうこともあるのだが、今回の場合はぜんぜんダメ。ただ、ただ、ただ体力を僕から奪っていく。朝になるとヘトヘトになっていた。ヘトヘトのまま会社へ行くのである。気合いしかない。
病院は嫌いなので薬もなし。僕にしては珍しく食欲もまったくなし。というか、舌の味覚がなくなってしまい、おかゆでさえ美味しくない。味覚がなくなることがこんなにも絶望的だとは思わなかった。何を口にしてもダメだった。体重も55kgまで落ちた。ふだん57kg台なのでこの一週間で2kgくらい減った。
せっかく勝負シューズも買っていたのに、けっきょく試し履きもできてない。試しランなしに本番で履くのはちとまずい。ふつう数回はロードで履き慣らしてから本番のフルで走るのだ。どうしよう。風邪は完全に治ってないから、明日走れるかどうかもまだ分からない。もし走れるにしても、雪上ではダメだからつどーむにでも行かなければならない。でも、その一回で試し履き終了でいいのか。どうしよう。ニューシューズはやめておくか。勝負ウェアの話もあったんだけど、またこの次にでも。
あと8日間。なんとか体力だけでもせめて通常モードに戻しておきたい。カーボローディングどころではない。まずは栄養をつけて、体重も走れるところまでは回復させないと。
ゴール後の打ち上げに持って行こうかなーと六花亭のおやつを買った。
今日もロング走 大福食べたか落としたか
「ごめん、先に謝っとく。走ってて落し物した」
家に帰るなり、カミさんに詫びた。何を落としたのかと聞かれ、スマホとか冗談を言おうと思ったが、ちょっと刺激が強いし、今は「iPhoneを探す」でどこにあるか分かっちゃうらしいので、正直に「大福」と答えた。今日は先週日曜日のロング走25kmにつづき、長いのを走るつもりでいたから、ドリンクだけではなく補給食として大福を用意してもらい、ウィンドブレーカの上着ポケットに入れたのである。
今日もR36を札幌ドームあたりから千歳方面へとひたすら走り、15km以上をめどに折り返すプランだった。東京マラソン(2/25)まであと35日だからといって、それに向けて緻密なトレーニング計画を立てているわけではないが、この時期に走りこんでおかないと、当日辛いのは自分だからちょっとは頑張るのだ。しかし昨年秋の金沢マラソンもそうだし、ここ数年の大会は毎度のように辛いから、まあそんなに頑張ってもなあと思わないでもないのだが。
走るのがキライではなく、むしろ好んで走っているから、大会でもできるだけラクに走りたいと思っているだけなのだ。
話は戻る。大福である。
今日は気温がやや低いが天候はまずまずだったので、鼻歌まじりの気分で走っていたが、5kmくらい走ったところでふとポケットが軽いことに気づいた。探ると大福がない。入れておいたポケットは分かっているんだが人間は悲しい。全部のポケットを2回ずつまさぐった。が、ない。1分ほど歩道で呆然としたが取りに戻ることにした。どこに取りに戻ればいいのかは分からないんだけど。
走りながらどこかに大福が落ちてないか目を皿にした。この文章だけ読むと変だが、実際そうなのだから仕方ない。走っているうちに落としたか、それとも途中で股割りのような股関節のストレッチをしたあたりか。途中、交番があるけどまさかこんなに早く届いているはずもないだろうし、そもそも「大福が届いてませんかね?」と還暦をとおに過ぎた僕がお巡りさんに言えるわけがない。僕にも羞恥心はある。
けっきょく2km以上戻ったけれど見つからなかった。やむを得ない。諦めよう。僕はふたたび予定どおりに千歳方面へ足を進めたのだった。
大曲あたりを走っていると、野球のユニフォームを着た中学生くらいの男子が一人二人と僕を追い越していった。その際、ちゃんと「こんにちはっ!」と帽子さえ脱いで挨拶をして追い越していく。すこしするとまた一人。ちゃんと礼儀も監督とかコーチに教えられているのだなと感心し、こころもほっこりした。次にきた男子に、どこの中学?と聞くと、上野幌の中学生だがリトルシニアのチームらしい。その後も何人かが、僕を追い越していった。僕が遅すぎるというのもあるが、中学生はしっかりと速かった。しばらくするとどこかで折り返してきたのだろう、今度はすれ違ったのだが同じようにまたみんな挨拶をしていく。おじさんは、頑張れよっと声をかけて激励して見送ったのだった。
先週よりも最低でも5km程度は多く走りたかったので、4時間走が最低である。途中、大福問題で余計なランもあったが、この辺で戻ると32km超というあたりで引き返した。
さて、帰ったらカミさんに大福のことをなんて言おう。黙っていてもいいが、なにしろ僕はこんなブログをやっているものだから、「大福落とした!」とかネタがあると書きやすい。書きたい。しかしこの「RUNだむ日記 Plus!」はカミさんもたまーに読んでいるものだからいずれバレる。経験上バレると面倒だ。
ブログに書くのは我慢して、墓場までこの出来事は持って行くという手もあるけれど、きっとその前に僕はこのことを忘れてしまうだろう。昨日の夕飯もろくに憶えてないのだから。もし自分の臨終のときに間違って記憶が蘇ったとしても「すまん、実はあのとき君からもらった大福は落としてしまったんだ。ごめん」と告白するくらいなら、すぐに謝ったほうがいいか、となったのだった。
そこで冒頭に戻る。
「ごめん、先に謝っとく。走ってて落し物した」。
なので、めでたく僕はことの顛末をブログにアップしている次第なのである。走った距離は32.4kmだった。
大福はきっとカラスのごちそうになったに違いない。冬場はカラスの食物も近ごろ乏しいだろうから、家族で分け合っていてくれると落とした僕もうれしいのだが。
札幌八幡宮参拝 往復ロング走
東京マラソンまであと40日ほどになった。今月中はまだ走りこみたいので、今日はロングを走ってきた。3時間走のつもりだったから、1時間半走ったら折り返すといった感じ。実際は信号待ちやコンビニ補給や「目的地」での滞在時間があり、3時間半以上かかったけれど無事に25km走ることができた。雪がなければもっと走れるが仕方がない。雪があるぶん負荷がかかって良いトレーニングになる、という側面もあると信じて黙々走るのだ。
今日の歩道の路面コンディションはまずまずだった。先日の「つるつる予報レベル3」に比べればはるかに走りやすい。たいはんが圧雪なので滑ることはほぼない。でこぼこがたしょう気になる程度である。R36を千歳方面に走ったのだが、清田から向こうでは、ところどころではあるがアスファルトも一部露出している。
今日の歩道
コンビニ補給は豆大福。
自宅から12.5km、今日の目的地は札幌八幡宮(住所は北広島市輪厚だけど)である。菅原道真公を祀った神社(立像は全国に三体しかないそう)なので、とうぜん学問の神様であり、受験生とその親がたくさんお参りにきておりました。まったく場違いな僕はそそくさとお参りをし(願いごとはひとつだけ、ちなみに東京マラソン完走じゃないよ)、気合いとともにおみくじをさっと引いたのである。
御神籤。
大吉だ。旅行(たびだち)は利益あり、行きて吉。恋愛は積極的にせよ。
帰宅後に写真を撮った。
まわりの人々の様子を見ていると、どうも大吉はいなさそうだ。三人できていた学生のうち、二人は中吉と吉だったので微妙によろこんでいた。あと一人は無口だった。女子中学生は両親と来ていて、彼女と母親がおみくじを枝に結んでいた。それが良いみくじなのか良くないみくじなのか分からないけれど、父親は神妙な表情だった。ま、しかしちゃんと神社に参拝したのだし、あとは当日までしっかりとやるべきことをやれば、良い結果が待っていると思うぞ。頑張れ受験生。
知らない人々の幸運を願い、僕は神社をあとにした。風はあまりなく天気はまずまずだったので、折り返しの残り12.5kmは気持ちよく走った。合計25km、無事に帰宅した。
スベる話(冬道帰宅ラン)
東京マラソンも近いし(あと44日)、12月は風邪とか仕事とかであまり走れなかったが、1月は無理をしない程度には走りたいと思っている。週の真ん中の今日は帰宅ランをした。
札幌のランナーの外ランは、この時期とうぜんだがほぼ冬道(雪上)ランになる。
しかも今日は、このサイトの「つるつる予報」によるとレベル3の非常に滑りやすい路面だった。ちなみにレベル3は最高レベルである。危険このうえないとも言える。職場のラジオで「今日は歩道がたいへん滑りやすくなっている」と話していたので、走る前にネットで検索してみたら上記の「つるつる予報」がヒットしたのである。しかしそれでランを中止する気にはならなかった。冬用の滑りにくいシューズを履いているのだし(といっても滑る)、じゅうぶんに気をつけて走るだけなのだ。とはいえ、帰宅ランコースの短いほう(6.7km)を選んだのは本能かもしれないが。
6時に仕事を終えて走り始めたので、帰り道の国道にはけっこう仕事帰りの人が歩いている。歩くだけでも危ないこのつるつる路面を走っているバカがいる、といった目で見られているはずだ。半分は当たってるけど。
ところで、ほかのランナーのことは知らないが、僕にとってこのつるつる路面は極端に危険なわけではないと思っている。なぜかというと、いちおうミッドフット走法だからである。走り方には、ドラマ「陸王」でも話題になったこのミッドフット(フラット着地)のほかに、かかと着地、つま先着地があるのだが、この走り方は足裏全体で着地するので、意外と滑りにくいのである。いうまでもなく超スローランだから竹内涼真に間違えられることはない。まあ、僕は夏も冬も同じ走り方なんだけどね。遅いのは同じだし。
写真も撮ったので載せておこう。
今日の帰宅ランの7割近くがこんな歩道だった。
この自転車は冬道用の太タイヤでスパイク付き。
軽快に追い越して行きやがりましたが、赤信号で停まったので激写。
このつるつる路面で転んだ人でしょうか。
ランニング中に救急車3台のサイレンを聞いた。
そのうちの1台がこれ。
僕自身は無事に帰宅後し、もちろん風呂とビールで癒されたのは言うまでもないよね。ぷしゅ。
元旦だから走り初めしてきた
昨日のうちに、2017年の総括(もちろんランについて)をカンタンにでもいいから書こうと思っていたが、面倒くさくなってしまい、酒を飲みながら紅白歌合戦になだれ込んでしまった。東京から一年ぶりに長男が帰札して、夕方から愉しい時間を過ごしたのもある。
もっとも一年を振りかえると、やっぱり昨年もパッとしなかったなあというのが素直な感想なんだけどね。JOG NOTEから昨年の総距離を調べてみるとザクっとなら以下のようになる。
1月/67km
2月/49km
3月/71km
4月/159km
5月/203km
6月/156km
7月/151km
8月/167km
9月/204km
10月/158km
11月/60km
12月/60km
トータル1302km
2006年(52歳)から記録が残っているのだが、一番少なかったのが2009年の811km。次が一昨年2016年の902kmだ。一番たくさん走ったのが2008年で2038km、この年は自己ベストを連発した。道マラだけはダメだったが、ハーフ(小樽/1:41:38)、30km(釧路湿原2:35:02)、フル(洞爺湖3:55:22)でベストを出した。
ちなみに足し算してみたら、12年間で17761kmだった。平均1480km。昨年はこの平均よりも少なかったことになる。
大会は6月の小樽運河ロードレース(2:03:43)、7月の函館マラソン(4:59:09)、10月の金沢マラソン(4:55:49)。どのレースもそれなりの不満に似たものが残ったのだが、完走はしているのだから、まあ良しとしよう。今年もいくつかの大会に参加すると思うけど、無理はせずにベストを尽くそうと考えている。
まずは、さっそく2月25日の東京マラソンだ。12倍以上の倍率をものともせずに当選したのだから、ちゃんと楽しく走ってこよう。
そんなわけで、今日は元旦だから走り初めしてきた。11km。ホントは21km走りたいなと思ってたけど、あまりにも路面コンディションがイマイチだった。歩道の雪は柔らかく、車道を渡る歩道は大半がぐちゃぐちゃで水たまりも。ひどいところでは、シューズが半分水没した。20kmくらい走った疲労感である。
それでも、今年は(今年も)イイ(11km)年にってことで良かったかもしれない。ま、良い(41km)年は無理があるしね。
雨に濡れた金沢マラソン2017(Part 2)
戦いすんで日が暮れて。
翌日は、ゆっくり風呂に入り、ゆっくり朝食をとった。ホテルを出たのは10時ちょっと前だった。せめて9時くらいに出発していれば、この日の悲劇はもう少し小さなものになっていたはずだった。
移動は基本、歩きだ。ただしたくさんまわりたいし、時間がもったいないので、ところどころスローだがジョグで移動した。月曜日なので当然ビジネス街では仕事が始まり、日常の時間が戻っている。しかしランナーはちらほらと目立っていた。金沢は歴史的景観や文化の魅力がいっぱいあるので、観光するのも大変である。どういう順序で歩くかは、だいたい考えていたが、なかなか思うようにはいかない。僕のことだから、例によってあちらこちらで道にも迷うし。
大野庄用水路/武家屋敷通り
とりあえずは兼六園方面へと向かったのだが、効率よくまわりたかったので、そこと金沢城公園は後まわしにした。尾山神社、足軽資料館、長町武家屋敷跡、前田利家土佐守資料館、老舗記念館などを先にみることにしたのだ。だが、どこも興味深い見どころがたくさんあり、思ったよりもひどく時間がかかる。
老舗記念館(左下の棒状のものは車麩)/21世紀美術館・レアンドロのプール
21世紀美術館・カラー・アクティヴィティ・ハウス/石川県立美術館・国宝「色絵雉香炉」
21世紀美術館についた頃は、すでに1時半を過ぎていた。そこからさらに加賀藩筆頭家老・本田家敷地内の苔むした階段を登り、石川県立美術館へと向かう。展示は前田家ゆかりの古美術、油彩、彫刻、日本画、加賀蒔絵・古九谷焼コレクションなど伝統工芸まで、石川ゆかりの美術品が多数展示されており、休憩をまじえないととてもまわりきれない。
だが心配ごとがないわけではなかった。それまでにも写真をたくさん撮って、ツイッターにアップしたり、グーグル道案内を使っていたから、スマホのバッテリーの残量は危険状態だった。それでも美術館の展示を観てからのほうが都合が良かったので、省エネしつつ使用していたのだが、そこを出るとスマホはもう虫の息だった。ソフトバンクショップを検索するのももったいないくらいに。そこを目指して足早にならねばならないほどにも。
しかし、めあてのビルがなかなか見つけられない。ソフトバンクのロゴは薄いグレーなので目立たない。さいきん目も老化が進んでいるのか、薄い色は見にくいのである。はっきりしろ、ソフトバンク! ようやく見つけたら、なんとそこはそれまでに何度も行ったり来たり通っていた場所だったのである。
店に駆け込んだときには、すでに残量はまったくのゼロで、画面は真っ暗だった。すぐに充電をお願いした。完全充電する時間はもったいないので、昼飯を食べる間にだけ充電してもらった。昼飯のタイミングをのがしていたからちょうどいい。近くでビールを飲める店を探し、餃子と赤味噌仕立てのあら汁を食べた。スマホがないんだから当然その写真もない。
40分程度で店に戻ると、なんとか44%まで充電が済んでいた。しかし、そんな余計なことでも時間を使ってしまったため、初めて金沢に来たら、ふつう一番に行かなければならないメインの兼六園に行けなくなってしまった。金沢城公園にもだ。仕方がないので、そこと同じくらいに行きたかったひがし茶屋街に向かうことにした。早くしないと暗くなる。だがそこからまたしばらく歩きなので、着いた時には残念ながら暗くなってしまっていた。
家人に買って来てくれと頼まれていた、きんつばの中田屋はもう閉まっていたし、ほかの店も多くが閉店していた。写真もスマホだから夜はうまく撮れない。これでは、せっかく兼六園をパスした意味がまったくなくなってしまった。こんなことなら、兼六園を見ておけば良かった。金沢といえば兼六園なんだから。
金沢行って来たの? いーなー、兼六園どうだった? え、行かなかったの? なんで? ……最低だ。
居酒屋・ばんばん/帰路飛行機からの景色
がっくりと意気消沈した僕はホテル方向へ戻ることにした。どこかで夕飯を食べねばならない。トホトホと徒歩で金沢駅方面へ歩いた。途中、目に入った「ばんばん」という居酒屋に入り、カウンターの角に座った。地酒・天狗舞とカンパチの塩焼き、ごぼうの塩唐揚げを注文した。いま気づいたが本能的に塩分を補給したかったのだろうか。塩ばかりだ。隣のオヤジがアラフォーの姉ちゃんを口説いている。しつこいのは嫌われるぞと忠告したいが、この夜を一人ですごしている僕に言える台詞ではなかった。そうして金沢の夜は、喧騒をまじえながらも静かに更けてゆくのだった。
あとはホテルへ帰るだけ…のはずだったが、おかしいな、気がついたらもう一軒寄っていた。塩おでん(まだ塩分補給している)と地酒・手取川あらばしりが、昨日と今日で疲れたカラダと心にしみる。名前も思い出せない居酒屋をあとにして、ホテルへ戻った僕は大浴場へ向かった。そんなに飲んでるのに大丈夫かオレ。
気がつくと朝だった。6時半に起きて風呂と朝食をすませると、もうあまり時間がない。荷物を整理しダンボールに詰め、ホテルから自宅へ送ったあとは、一目散に駅へと走った。何しろリムジンバスの発車までもう時間がないのである。なんでいつもこうなるんだ。汗だくで案内所のお姉さんにバス停場所を確認し、西口3番乗り場へさらに走る。ありゃ、やばい、もうバスがきているではないか! 走る、走る!
僕を最後の乗客として、1分たらずでバスは出発した。良かった。間に合った。日頃から良い行いはしておくものである。ま、それ以前に行動は余裕を持っておくべきだが。
最後部シートの真ん中に着席した僕が、タオルで吹き出すような汗を拭いていると、両窓側のサラリーマンが、なんだこのおっさんはという顔をしている。僕は涼しい顔で脇汗も拭くのだった。
定刻どおりに離陸した飛行機は、日本海側に出て海岸線を舐めるように上昇してゆく。3列シートの窓側の席でノートパソコンを開き、このブログの下書きを書いていたら、CAが隣席のテーブルにコーヒーを置いてくれた。2席とも空席だったのだ。いいね。気がきくね。
到着後、新千歳空港で遅い昼食をとってからバスで自宅へ向かった。
こうして雨と血と汗にまみれた金沢遠征は終わった。ヘトヘトである。札幌に帰ってから調べてみると、月曜日に金沢市内で歩いた距離は館内等も含めると20km近くあったようだ。フルマラソンの翌日に歩く距離ではないと思うぞ。
おしまい。
雨に濡れた金沢マラソン2017(Part 1)
6月に金沢マラソン2017の当選メールが舞い込んだ。
10月末のこの時期に、休んでる場合ではない仕事があったんだが、ちょっと無理して休みをとった。マラソン翌日の月曜日まで休むことはけっこうあるが、火曜日まで休みを伸ばしたのは初めてだ。ホテルをおさえる際、金沢を訪れることはそうそうないんだから、走ったあとはフツーに観光客として街歩きしてもいいんじゃないか? 月曜日に帰ると何も観光できないよ? 金沢グルメも地酒も堪能できないぞ? 茶屋街や美術館に行くのも無理? 金沢の女(ひと)と仲良くなる時間だって足りないじゃないか? と、5分くらい悩んで、後泊2日を追加したのだった。ホテルと飛行機をとってしまえば、仕事は先延ばしと前倒しで乗り切るしかない。
痛々しいかかとの血/ま、完走したからいいかというゴール写真