RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

熊本城マラソン2019 — 血と涙の赤い坂

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熊本城は、慶長5年(1600年)加藤清正が築城した。寛永9年(1632年)には肥後54万石領主として細川忠利が入城。忠利は文武両道に励むよう家来に勧めており、足腰を鍛えるべく長距離を走らせることも奨励していた。しかも、ある日殿様は天守から領地を眺めているうち、どうせ走るなら競い合わせたほうがより鍛錬になるんじゃなか? と熊本弁で思いついてしまった。城門を出発地点とし、領地を10里ほど(40粁弱)走って城に戻る。沿道には幟が立ち並び、百姓には給水と給食を担わせることにした。経路は坂もある過酷なものとし、刻限までに城門へ戻れなかった者は切腹。最後の二の丸への急坂は、鍛練不足の武士(もののふ)の血で染まり妻子の涙で濡れた。これがこれまで歴史の陰に隠れてきた熊本城マラソンの事始めである。
平成24年に再開された本大会は今回で8回目になる。

 

・・・血に染まっただけに、ほとんど真っ赤な嘘である。

 

熊本城マラソン2019まであと一カ月となった。
暦を3週間ほどさかのぼるが、師走も押し迫った26日夜、布団を敷こうとしたときだった。寝間の空気を切り裂くように、僕の腰に電気が走った。あーっと手をやったが遅かった。すでに僕の神経は侵されていた。まずいと思いながらも、一縷の望みを抱いて歯も磨かずに、そのまま唸りながら静かに布団に入ったのだった。

 

しかし希望の朝はやってこなかった。この日から腰痛ベルトなしには過ごせなくなった。そもそもそれを巻いても5センチくらいずつしか歩けない。しかも何かにつかまりながらだ。この状態ではさすがに会社へは行けない。27、28日と会社を休んだ。仕事納めもあいさつも掃除もなしだ。ひたすら回復に努めたが、年齢とともにこういった症状の治りが悪くなっている。年が明けても家でおとなしくしているしかない。とうぜんランニングなんかできるワケがない。例年なら年末年始だけでも数十キロは走っているのに。

 

家にこもって酒を飲んで餅やおせちを食っていれば太る。6日には思いきって体重計にのってみた。2kgほど増えている。7日が仕事始めだったので、腰痛ベルトの助けを借りてなんとか出社はした。もちろんまだ走れない。8日には、ここ数ヶ月ずっと右ひじとスジが痛かったので整形外科受を受診した。なぜかテニス肘とゴルフ肘と診断されたが、ようするにパソコン作業のやりすぎだろう。べつに特効薬はないので湿布をもらい、エルボーサポーターを買った。腕に巻くベルトだ。腰も腕もベルトに支えられて生きる僕なのである。


ようやくランを再開したのは9日夜である。札幌ドームのナイトランで10周・7.2kmを超スロージョグした。その後は土・日にそろりそろり14km、7kmと雪道ランをおこなった。


そんなワケで、熊本城マラソン2019まであと一カ月しかない。たしょうは歩いてしまうかもしれないが、フルを完走できるところまでは復活したい。5時間をきるのは難しいだろうが、熊本城マラソンは制限刻限は7時間あるのだ。僕だって命は惜しい。

切腹は御免だ。

旅のラン、豊頃町の朝はつめたい

12月6日の旅のランを記録しておこう。今回は道東への出張にて、豊頃町を走った。

 

宿泊は、街で唯一あるいは数少ない(?)宿泊施設、豊頃ロイヤルホテル。丘の上にある。ホテルといっても、夏などは部活等の合宿にも利用されるところなので、リーズナブルであり、部屋にはトイレも風呂もない。つまりそういうところである。ま、仕事で来てるわけだし贅沢を言ってはいけない

 

しかし、ふつうの食事ができて大浴場もゆっくり入れるし、缶ビールの販売機もあるわけだし問題ない。

 朝は明るくなるのが遅いし、仕事始まりも遅めの設定になっていたので、朝食を食べてから走ることにしていた。

先に書いたとおり丘の上にあるホテルなので、車で上がってきた道を下って市街地方面を走ろうかなと思っていたが、フロントの方がグルーっと回れるよと教えてくれた。ホテルを中心として丘を上って下って周回できるのだ。合宿するチームもランニングに利用しているとか。

 

例によって写真を撮ったり、ウロウロしたり戻ったりとしながらゆっくりと走るので距離は稼げそうにない。天気はすこぶるいいし、気温もさほど下がってない。つまり気持ちいいランだった。

 

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ホテルの目の前は茂岩山自然公園で、キャンプ場がありバンガローもたくさん並んでいる。走り出しはじめはゆるゆるくねくね、まちを見おろしながら下りがつづく。市街地に出ると平坦だが、ホテルへの道に入ると激しい上り。この周回コース上にはりっぱな体育館や野球場があり、える夢館という図書館や郷土資料館のある施設、町役場などもある。さらに消防署、郵便局、くわえて飲食店もろもろも。つまりなにかと便利なランニングコースなのである。だからといって僕が朝はやくに用のあるところはないが。

 

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ところで、例によって写真を撮ったり寄り道したりしていると、急にスマホがブラックアウトした。あー、スマホが冷えすぎたんだなとすぐに気づいた。まったく学習能力がない。またやってしまった・・・。

 

旅のラン豊頃町・茂岩山自然公園キャンプ場付近と市街地を周遊にて4.6km。

昼に食べた豊頃名物・豚チャーハン。

 

旅のラン、熊の湯へは行けないよ

旅のラン。今回は八雲町熊石を走ってきた。

 

熊石は平成の大合併で八雲町になった町。噴火湾側の八雲地区と日本海側の熊石地区でニ海郡(ふたみぐん)八雲町となる。今回の仕事はその二つの地区にまたがったのだが、泊まりは熊石のひらたない荘にした。

出張の際、仕事に支障のない範囲でランニングも楽しむのが僕の旅ランだ。今回もとくに無理なく、その時間を確保した。

 

朝5時過ぎに宿を出て海のほうへ坂をくねくねと下っていくと、町の歴史記念館や青少年旅行村などがあり、いちおう寄り道しながらゆっくり走る。基本的に僕の旅ランは散歩に近いがそれでいいのだ。

 

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熊石歴史記念館/青少年旅行村


海沿いの道へ出ると右に走った。下調べをしてから宿を出てきたわけではないが、たぶん港のある方向だ。じっさい少し走ると、港から海へ出るあたりの目印となる小さめの灯台が二基見えた。雲は多いが今日は晴れの予報が出ている。

 

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海洋深層水交流館/熊石漁港

 

家の前を掃除していたおばあちゃんと朝の挨拶を交わす。津波の際の避難用と思われる高台への梯子や階段がいたるところにある。漁具屋さんはもう営業しているように見える。熊石海洋深層水の施設もあった。港では数人が釣りをしていた。

ここまで3.5km、今日の行動予定からすると引きかえす時間である。帰る途中に山門がありちょっと寄ってみた。道南霊場門昌庵の札もある。(門昌庵事件

 

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門昌庵/熊の湯閉鎖中

 

来た道を戻って坂を上り、宿の前も通り過ぎると「熊の湯」へ行けるはずだった。ところが先日の台風の影響でか、樹木の倒壊か道の損壊、あるいはその両方か分からないが閉鎖になっていた。残念だが大人の常識人である僕は、そのゲートを突破する勇気いや無茶、蛮行はできなかった。ま、当然だが残念だ。熊の湯でクマとの混浴を目論んでいた僕なのに。

 

宿に戻って昨日から3回めとなる温泉に入り、旅のラン7kmを終了した。

熊本城マラソン 抽選結果のお知らせ

どうせ当たらんだろと気楽に申し込み、忘れて待つのがきっといいのかもしれない。

東京マラソン2018」もそうだった。

8月に申し込んでいた「熊本城マラソン2019」の抽選結果がメールで届いたのは9月12日である。タイトルが「抽選結果のお知らせ」だったので、あ、やっぱり外れたか……がはじめの感想だ。いちおう「初挑戦枠」で申し込んだから、たしょうは確率がいいだろうと思ったのだがダメだったかと、がっかり気味にメールを開いたら当選のお知らせだったのでちょっと驚いた。見出しに「当選」の文字はなく、それが表示されるには数行読み進めなければならなかったのだ。

 

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ホームページでは、この枠の申込者数が定員3,000人を超えたので抽選になりますとのアナウンスが8月7日にあり、9日には同じくフルマラソンの申込者数も定員の13,000人超えになり抽選が決定したとある。昨年並みの倍率なら3倍未満だから、東京マラソンの12倍に比べればはるかに当選しやすいのは間違いないが、それでも抽選になれば当選と落選にわかれるわけだから悲喜こもごもは同じである。

 

ところで、じつをいうと2月27日のブログ(冥土のみやげか? 東京マラソン)では、東京は1回走ればもうじゅうぶんだ的に偉そうな感想を書いたのだけど、それをくつがえして東京マラソンも申込だけはしていることを告白しなければならない。確率的には連続で当たるはずがないものの、当たったら面白いなと思っているが、かといって残念ながら2月17日の熊本と3月3日の東京を両方走る脚と金とヒマは僕にはない。二つを比べると、やはり一度走った東京よりも初めての熊本を走りたいのは自明なので、もちろん熊本を走ることにした。

熊本が落選して東京が奇跡的にまた当選したら恥ずかしげもなく東京、ということもあったが熊本が当選したのでそれはなくなった。

 

参加する場合は、東京の当落発表前に入金しなければならないので忘れないうちに入金した。行きは土曜日だけど帰りは何曜日にするか決めてないのでとりあえず往路の飛行機だけは確保した。ホテルも土曜と日曜をまずおさえた。あとは九州なんてそもそも滅多に行けないし、熊本(2016熊本地震)も北海道(2018胆振東部地震)も奇しくも大きな地震被害による復興を目指しているので、まずは僕のプラスアルファの熊本観光でさらに協力したいと思う。もちろん地元北海道のことも忘れないけど。

 

次の大会が決まらなくて、日々のランニングもただ緩々とたまに走ってるだけだったが、いちおう目標ができてすこしはしゃっきとするだろうか。

 

というわけで、今日は10km走ってきた。

2018小樽運河ロードレースと旅のラン十勝清水のこと

もう一週間も経ってしまったが、17日の日曜日に今年も小樽運河ロードレースを走ってきた。

 

「せめて切りたや2時間を」のささやかな目標は叶わなかった。昨年とほぼ変わらない記録だった。          

それもあり、コレについての記事はなしにと思ったが、ゴール後の風呂と昼食の店まで車に乗せてくれた某鍼灸師女子に大感謝の気持ちを捧げたい。昼は餃子の「青い稲妻」…(違うと思う、きっと違う)という店で食べようという話になったが、あまりの超満員で諦めた。だがけっきょく餃子は諦めきれず、手稲の王将でお安く済ませた。酒飲みの運転手に微塵も遠慮せずにビールまでいただいてしまった。初対面の方なのに。申し訳ない気持ちがいっぱいである。(ホントか?)

 

2時間半という緩い目標を達成した某一級建築士女子は、財布を落としてスーパー銭湯の館内放送でフルネームを連呼されてしまい、穴があったら入りたいといったところだが、風呂にはちゃんと入ったようだ。地下鉄宮の沢駅まで送ってもらった後は、チカホから入っていける英国パブみたいなところで、それぞれの反省会を二人で手短におこない、速やかに帰宅したのであった。 

 

木曜日には泊まりの出張があり、金曜の朝に旅のランをした。

 

北海道内の出張はたまにある。泊まりで走る時間を確保できそうなときは、ランニングウェアを持っていく。今回は道東で帯広周辺の仕事をして十勝清水に宿泊した。夕食の提供のない小さなビジネスホテル(といっても部屋数はひとケタ)だったので、小雨の中を同行者と食事ができそうな店を探しに出た。傘も借りずにホテルを出てきたから、はじめに目に入った店に入ったのだが、2階で団体の宴会が始まるので食べ物の提供には時間がかかりますと言われる。

 

ま、地元のお得意様は大事であり、しかも団体は大切にしないとね。明らかに余所者の僕らは二の次三の次。仕方ないので、いちおう何品か注文して、とりあえずビールや焼酎を飲みひたすら待つ。基本的に食事をしにきたのだが、炭水化物はなぜか寿司とおにぎりしかない。気分としてはどっちもとくに食べたくない。ようやく出てきた焼き鳥などを食べて店を後にした。

 

が、腹は減っている。近くのコープに寄り、なぜか食指が動いた醤油カップラーメンや、なぜか食べたくなったポッキーを購入し部屋へと戻った。湯を沸かして3分待ち、さあ食べようとしたとき、なんと箸がないことに気づいた。だが、たまたまラッキーな(?)ことにポッキーを買っていたので、2本使えば食えないことはない。はず。と思う。

しかし賢明で知的な僕はそれを思いとどまった。ホテルの奥さんから割り箸をもらってきたのである。とはいえ、そうこうしているうちにカップ麺はすっかりのびてしまった。ふやけたラーメンはイマイチだが腹は減っている。テレビでワールドカップ・ロシア大会の放送を見ながら、これもコープで買ったカップ焼酎を飲みきった頃には、うとうとして寝てしまったのだった。

 

朝は爽やかに5時前に目が覚めた。だが、準備をしてホテルの玄関を出ようとしたらロックされている。どこかに解除のボタンがないかなと探したがなかった。かといって、まだ寝ているかもしれない奥さんを朝ジョグのために起こすのも憚られる。大人な僕は自重した。

 

いったん部屋に戻ってテレビで時間を潰してから出直し、5時半過ぎに玄関を出た。朝食は7時なのでそんなに時間はないが、旅先のランは散歩に近いものだから、距離を稼ぐ必要はない。ホテルの近くに、池のある清水公園があるので、そこらへんを走りつつも、清水町のみなさんの住宅や庭など住宅街の様子も眺めながら走った。その土地その土地の暮らしぶりを想像しながら走るのは、なぜか頰が緩むのである。しあわせな気分で走り終えた僕が、その日の仕事も絶好調でやり遂げたのは言うまでもない。ホントか?

 

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根室本線十勝清水駅近くの跨線橋から

 

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清水公園、鏡のように静かで美しい池でした

 

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▲旨い蕎麦屋さん、目分料(量じゃない)は小さな子供お断り

 

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▲清水町図書館は地面にすっかり埋もれている

 

ちなみに清水町は、ベートーベンの交響曲第9番(第九)を全国町村で初めて合唱した事から「第九の町」としても知られる。十勝牛たまステーキ丼は、「新・ご当地グルメグランプリ北海道」の殿堂入りを果たしたご当地丼。酪農も盛んで、ホクレンの製糖工場や日本甜菜糖の工場もある甘~い街でもある。

東京マラソン2018 – 冥土のみやげか? 

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東京マラソン2018。そういえば、昨日のブログで完走メダルと参加Tシャツを自慢するのを忘れていたので写真を載せておこう。ま、どんなに遅くても制限時間内(7時間!)ならメダルはもらえるんだけどね。

 

参加人数が36,000人とあまりにも多いので、運営的にいろいろ不満もないではないのだが、それでもさすが東京マラソンといった、いいね!なことも多い。もちろんエイド等のボランティアにもものすごくお世話になったし。大会ロゴマーク等に使用されているデザインも素敵だ。完走タオルや参加Tシャツ、計測チップ、東京メトロ24時間乗車カードなどその他あらゆるグッズにあしらわれている。

 

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左のカードは3年前に長男からもらった東京駅100年記念SUICA。ほとんどの鉄道に乗れるので、東京での移動にはものすごく大活躍した。右上の計測チップは回収されないので持ち帰れる。右下はランナーがもらえる東京メトロ24時間乗車カード。美術館へ移動するのにたすかった。

腕に巻いているのはセキュリティ・リストバンド。参加ランナーは大会期間中ずっと腕につけていた。つまり会場内の必要以上にさえ感じる厳重なセキュリティは、どこまでもテロ対策的なことなんだろうなと感じた大会だった。

 

しかし水を差すようだが、僕はもうこの大会は出ない。というよりも申し込まない。1回でじゅうぶんかな。それは突き詰めると、参加人数が多すぎることに尽きると思う。受付にしろゴール後にしろ、ビッグな大会すぎて、しかもテロ対策もしなくてはならないので参加者にはストレスが多すぎる。

でも、それでもやっぱり1回は走ってよかったとは思う。雨あられのように降りそそぐ感動的な声援は忘れられない。冥土の土産にはちと早いんだけどね。

 

東京マラソン2018、いちおう走ってきた。

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東京マラソン2018を走ってきた。

僕のブログはいちおうランナーブログなのだが、ここ数年ほかの人の役に立つ大会レポートをした試しがない。コースの分析、感想、実用的なガイドがない。そもそも、ここのところ満足のいくレースをしてないせいでもあるんだが。

毎度体調がよろしくなく、風邪をひいたり、腰痛をかかえたまま走ったりしてるので、自分としては緩めに設定した目標タイムさえ満足にクリアできないでいる。

今回も10日ほど前にひいた風邪が完治せずに走ることになってしまった。

気管支系が治りきらなかったのだ。咳は激しくはないが痰が切れない。治りかけなのは間違いないんだが治りきらなかった。喉の奥でぐるぐると鳴っていた。なにより数日間の熱と寝汗で体力を奪われた。仕事にはなんとか出社していたが、いわゆる気力がほとんどなくなってしまった。

 

そういうこともあって、札幌を出発する前からとにかく走りたい意欲がゼロだった。こんなに走りたくないのは、ちょっと記憶にない。よく大会パンフレットの注意書きにある、体調不良の場合は無理するなという文言がチラチラ脳内を巡る。しかーし、なにしろ10数倍の倍率をモノともせずに当選した東京マラソンである。飛行機もホテルもとっているのにDNSする決断はできなかった。行くしかない。

 

というわけで、僕は機上の人となった。

 

受付会場の東京ビッグサイト行きのバスが満席続きだというので、諦めてモノレールとりんかい線で向かうことにした。ちゃんとした昼食の時間はとれなかったので、羽田空港で空弁(ソースかつ丼)を買いモノレール車内で食べるという暴挙をやってしまう。僕の隣の席は空けといたんだけど、誰も座らなかった。なんでだろう。

会場は出場36,000人プラス付添いの人も多いのだろう、ある程度は覚悟していたが激混みだった。並び始めてから受付までにたどり着くのに1時間くらいかかったのではないだろうか。僕はデカいリュックを背負っていたのだが、これがずっと背中にあり、ヘタをすると半歩ずつ前に進み立ち止まるという苦行は辛かった。考えれば足元に下ろせばよかったのに、なぜか最後まで背負っていたのだった。これと新千歳空港までのバスが補助席だったことと合わせ、腰痛も抱えてしまった。サイテーだ。それでも、よせばいいのに受付終了後いくつかの会場内のブースをまわり、東京マラソン記念品的な無料のグッズなどをいただいたりしてしまい、腰痛をより確実なものとしたのであった。バカ。

 

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慣れない東京での移動に大活躍したのはSUICAだ。数年前に長男からもらった東京駅100年記念のデザインSUICA。東京での鉄道のほとんどがこれで乗れる。乗り換えを含めて、乗りたい路線と駅を間違えなければきっぷを買う手間もないし小銭を用意しなくてもいい。

そんなわけで、無事に長男のマンションに着いた。夕飯は当然だが炭水化物を摂取した。鍋焼き餅入りうどんである。ビールも1杯だけ。

明朝の食べ物をコンビニで調達し、ゼッケンをウェアにつけてランの準備をすると、もう10時近かった。すでにヘロヘロの僕が布団の中の人になったのは間もなくであった。

 

6時前にセットしたアラームで目をさまし、準備をしているとあっという間に時間がせまり、長男に礼を言って出発した。

品川駅で乗り換え新宿駅へ。そこからはほかのランナーの後をついていけば会場まではいける。ただしそこからはカオスである。僕が方向音痴であることがいちばん問題なんだけど、とにかく会場内は分かりにくい。案内板があるにはあるが、案内しなければならない対象者はなにしろ36,000人もいるので、僕をはじめ多くの人はウロウロしている。あちこちまた歩きすぎて、スタート前にすでに乳酸が溜まっているのはどうしたものか。

ま、それでもスタート時間はやってくる。9時10分にはちゃんと始まったのだった。

 

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当然しばらくは歩くことになる。少しずつ走りはじめても、咳き込みたくはないので静かに走る。スタートラインでは、暖かそうなコートを着た都知事が壇上から手を振っていた。

26kmあたりでは応援してくれる人がいる。そこまではなんとか走っていたかったので、キロ6分半から7分くらい。しかしさすがに花の都・東京だ。沿道の応援はすごい。こんなにたくさんの応援は初めてというほどケタ違いの応援だった。公式の応援イベントもあるが、ランナーの知人・家族・一般の応援が熱い。

しかも僕の今回のウェアは、コンサドーレ札幌のレプリカだ。昨年予想以上の結果を出してJ1に残留したのだが、今年はペドロビッチ監督にかわりさらに上を目指すチームになった。そこで札幌から参加してるよと、アピールするためには何がいいかと考えて、札幌のレプリカユニホームを用意したのだった。コレがけっこう気づいて名指しで応援してくれる。大きく分けて「コンサドーレ頑張れー」と「白い恋人頑張れー」である。前者には「札幌頑張れ」「北海道頑張れ」「コンサ頑張れ」「コンサドーレ頑張れ」の違いがあり、後者は「白い恋人」が大半だが、なかには「面白い恋人頑張れー」もあった。

どっちが多いかなと数えていたが、途中で指が足りなくなり諦めた。しかし「白い恋人」が30回以上、「コンサドーレ」の声援が50回以上あった。とにかくサッカー、野球のレプリカ系も含めると、仮装のランナーがかなり多かった。僕の近くには赤白ボーダーのウォーリーもいて、この方は僕よりも多くの声援をもらっていた。「ウォーリー、見つけた~」か「ウォーリー、見っけー!」がほとんどだった。絵本はまだ人気があるのかな、小さい子どももけっこう叫んでいた。

 

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26kmふきんでご主人と応援してくれたラン友は、スタッフジャンパーとほぼ同じイエローだったので見つけにくかったが、端を走っていたおかげで見つけてもらえた。レモンと勇気をもらい、記念写真を撮って残り16kmを目指した。しかしそこからはボロボロだった。いくつかの観光名所をバックに自撮りしたりしながら走った。東京在任中のラン友も僕の苦しそうな姿を激写してくれた。撮られてると意識してないから、もう死にそうな表情で走っている。ほかにも名指しで応援してくれた方もいてうれしく走れたのだが体がきつい。

コースは昨年よりもアップダウンが減り、さらに走りやすくなったようだし、天候もマラソンには程よいコンディションのはず。じっさい設楽選手は日本記録を更新してなんと1億円もらったという。だけど、僕はへろへろでゴールした。5時間39分。自分史上、ワーストであるのは間違いない。よりによって、なんと、東京で。

 

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フィニッシュ後はさらに辛かった。ドリンクやタオル、荷物などを受けとるのに延々と歩かされる。しかも寒い。今日の泊まりのホテルへ行くにも、コースをまたいでいるので地上からは行けず、地下道を通るしかない。そんなとこ歩いたことがない。やっぱり地上への出口、出てからの方向がよく分からず、かなり遠回りしてしまった。

チェックイン後、どう考えても打ち上げの会場に5時に行けないのが分かったので、先に遅れることを連絡して、大急ぎで風呂に入った。少しでも足と腰の痛みを減らしたくて、シャワーではなく風呂にしたのだが、けっきょく予定よりもさらに遅れて参加することになった。20人近くの参加があったが、相変わらずランナーの飲み会はあちこちで話が弾み賑やかだ。あっという間に酔い、お土産の菓子を残っていた方に分けて途中退席したのだった。もちろん僕のことだから、ホテルへの帰りもしっかり迷った。

それでも寝る前に簡単でもいいからとストレッチをしたのだが、寝落ちしそうになったので風邪をさらにこじらせる前に布団に入った。

 

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月曜日は休みをとっていたので、乃木坂の新国立美術館で「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」をみた。ほんとうは品川にある水族館も見てから帰ろうと思っていたのだが、時間がなくなってしまい諦めた。美術館で家人と自分へのいくつかの記念グッズを買い、空港でも土産を買い、さらに空弁(焼き鯖すし)も買い、今度はちゃんと飛行機内で食べた。

 

このブログの下書きをしていると、時間が経つのも早い。気がついたらもう新千歳空港だった。バスに乗り継いで自宅近くで降りて雪道を踏みしめると、文字どおり冬の札幌に帰った気がした。