RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

ふたつの自問

 自分は何歳まで生きるだろうと考えることがある。
 
 人は誰でもそういうことを考える。犬や猫は考えない。いや、猫は考えてるかもしらん。薄目を開けて哲学的な思考に耽っているところを邪魔すると、さも軽蔑するような仕草で無視されたりする。寿命について考えていたのかもしれない。
 

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 僕はこどもの頃「死」が怖かった。今でも怖い。しかし誰も死ななきゃ地球は人で一杯になってしまう。日本は小さな島国だから、はやい段階で人間が溢れ、確実に海岸線からドボドボとこぼれていく。そうなったら困るので、生まれたら死ななければならない。
 
 そこで、冒頭の「自分は何歳まで生きるか」である。つまり何歳で死ぬかだ。もちろん分からないし歳の順でもない。金を持っていようが、いい人だろうが、犯罪者であろうが関係ない。長距離を走るのが好きでも嫌いでも、好きな人がいてもいなくても、死ぬときがきたら死ぬ。どんなに健康に気をつけていても平均寿命より早死にすることはある。
 
 同じような自問で、何歳まで働くかというのもある。経済的な問題だけなら、もともと恵まれた家系の方や、がんばって財産を築いた方は悠々自適、思いのまま暮らせばよいし、そうでなければ歯を食いしばって働くしかないのだがそれだけではない。なにしろ、いきがいとか使命とか面倒くさいことも絡んできたりする。僕の場合は超零細だが経営をしているので、この会社をどうするかというモンダイも大きい。会社をたたむのはタイヘンだ。M&Aだってもっとタイヘンなのである。
 
 還暦を過ぎたからこのふたつの自問は、じっさいは隣り合わせである。望んだ訳ではないが生まれてきて今日まで生きてきた。人生の意味を深く考えれば考えるほど、意味はさほどない、という答えに辿りついてしまう自分がいる。猫より劣るかもしれない。せっかく生まれてきたんだから楽しんでいけば? と人ごとのように思ってしまう自分がいる。
 そんなニヒリズムにも似た思考から導きだされるものはたいした結論ではない。そもそも先の問は自分で出せる答えはないし、後の問はけっきょく、自分が決めるしかない。
 
人の生きざまや死にざまを本で読んだり、テレビで見たりすると我が身を省みる。しかし無名の男がただただ、あがいて生きているだけである。
 
今夜はしとしと春の雨。ぬる燗が旨い。
 
ひっく。