函館マラソンのこと・1
先日、といっても二週間以上前だが、函館マラソン関連の記事を書いた。書いたからには、それについての結果も書いたほうがいいか。
というわけで、26日の日曜日に函館を走ってきた。いろいろとあって、あまり練習ができないまま本番を迎えるので、良い記録は無理だ。完走だってどうだか怪しいと思っていたが、なんとか完走だけはした。5時間10分もかかったけど。
完走記を書く気はないので、あらましだけ。北海道民なら、その日は道南に限らずほぼ悪天候だったことは承知していると思う。数日前からの予報は傘や雨マークが連日しるされていた。昔のひとも言っている。天気予報は良い予報ははずれ、悪い予報は当たるものだ。
土曜日は午前6時に札幌を出発した。激しく降る雨と強風を含む、不安定なことこのうえない一日で、雨が上がる時間帯もあったが、おおむねひどい空だった。
道路には樹木の枝が折れ飛び重なっていたし、なにかヘンなものが飛んできてもおかしくはなかった。じっさい、八雲あたりでは対向車線でカモメが車にはねられ死んでいたし、僕の車にも風で飛翔不安定になったカモメが当たりそうになった。
家人の脚は立っているにしろ、歩いているにしろ、座っているにしろ同じ姿勢を続けていると病んでくるので、何度も休憩をしながら昼前に函館へ着いた。
はじめに五稜郭の代志川(よしかわ)で昼食をとった。僕はカニクリームコロッケランチ、家人はひとくちハンバーグ。
つぎは墓参り。函館山の麓、外人墓地の近くにある墓地は海を見下ろす絶景のロケーションだ。風雨のせいか函館湾には見たこともないくらい船が停泊していた。ちょうど雨があがっていたので写真も撮れた。墓参り時はいつも晴れる。雨だったのは義母の納骨時だけである。入りたくなかったようだ。
友人夫婦が良い席をキープしてくれたので、函館競馬場へ向かい合流した。ひさしぶりに会ったが相変わらず仲の良い夫婦だ。10、11レースの馬券を買い、メインの大沼ステークスを的中。すこしプラスで競馬場をあとにする。
5時すぎにホテルへチェックイン。風呂に入ったあと、徒歩で千代台陸上競技場へ行き受付を済ませる。その足で夕食の「鯉之助」へ。ここのうなぎは蒸してから炭火で丁寧に焼くので、ひときわふんわりと柔らかく口に含むと身がとろけるように美味い。超大奮発で、上うな重、ビール付き。明日のフルマラソン42.195kmのスタミナをつけた。完走間違いなしだ。
翌朝はバイキングの和食にした。イカ刺しが美味い。たっぷりと食べて会場に向かう。家人は膝・脚の状態が良くないので、沿道での応援はしないことになっている。
ひとりで会場の千代台陸上競技場まで歩き、Fラン(走友会)の集合場所を探したが見つからなかった。サブトラックの横と聞いていたが、それがどこをさすのか分からなかった。スタートまで時間がないし、しかたがないので所定の場所に荷物を預けて、整列地点に並んだ。
スタートロスは3分。昨年まではハーフの大会だったので、フルとハーフを同時にスタートするスタイルは初めてなワケだから、参加人数のわりに、ロスタイムがすこし多かったかもしれない。
大会そのものは、予定どおり不安定な天候に支配され、穏やかになる時間帯もあったが、激しい風雨にさらされた。
途中、知らん顔をして追い越したY氏を咎め、厳重注意をしたり、赤いバンダナとグリーンTシャツの派手なN町の朝ラン部部長Kさんを見かけたりした。どうやら東京のSママともすれ違っていたようだ。Nさんは沿道で僕を応援をしてくれるついでに、夫Y氏の応援もしていた。
個人的にはアップダウンのきついコースだと感じる。高低差は序盤の8キロから17キロくらいがきついが、もっと苦しいのは30キロの跨線橋からともえ大橋の往復だ。とくに復路の大橋は多くのランナーが歩いていた。見知らぬランナーと「きっついですねー」と話し、「ここはエスカレーターが必要だろ」と励ましあった。
沿道の応援はほかの大会に比べても多いと思う。この悪天候でさえ感じるのだから。終盤にはふくらはぎが何度も吊りそうになったが耐えた。正確には関門閉鎖時間はまったく知らないのだが、たぶん大丈夫だろうと思いながら走った。ぎりぎりでも完走できそうな気はしていた。じっさい5時間10分(ネットで7分)でゴールすることはできたのだった。