RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

東京マラソン2018、いちおう走ってきた。

f:id:navi1954:20180226213312j:plain

東京マラソン2018を走ってきた。

僕のブログはいちおうランナーブログなのだが、ここ数年ほかの人の役に立つ大会レポートをした試しがない。コースの分析、感想、実用的なガイドがない。そもそも、ここのところ満足のいくレースをしてないせいでもあるんだが。

毎度体調がよろしくなく、風邪をひいたり、腰痛をかかえたまま走ったりしてるので、自分としては緩めに設定した目標タイムさえ満足にクリアできないでいる。

今回も10日ほど前にひいた風邪が完治せずに走ることになってしまった。

気管支系が治りきらなかったのだ。咳は激しくはないが痰が切れない。治りかけなのは間違いないんだが治りきらなかった。喉の奥でぐるぐると鳴っていた。なにより数日間の熱と寝汗で体力を奪われた。仕事にはなんとか出社していたが、いわゆる気力がほとんどなくなってしまった。

 

そういうこともあって、札幌を出発する前からとにかく走りたい意欲がゼロだった。こんなに走りたくないのは、ちょっと記憶にない。よく大会パンフレットの注意書きにある、体調不良の場合は無理するなという文言がチラチラ脳内を巡る。しかーし、なにしろ10数倍の倍率をモノともせずに当選した東京マラソンである。飛行機もホテルもとっているのにDNSする決断はできなかった。行くしかない。

 

というわけで、僕は機上の人となった。

 

受付会場の東京ビッグサイト行きのバスが満席続きだというので、諦めてモノレールとりんかい線で向かうことにした。ちゃんとした昼食の時間はとれなかったので、羽田空港で空弁(ソースかつ丼)を買いモノレール車内で食べるという暴挙をやってしまう。僕の隣の席は空けといたんだけど、誰も座らなかった。なんでだろう。

会場は出場36,000人プラス付添いの人も多いのだろう、ある程度は覚悟していたが激混みだった。並び始めてから受付までにたどり着くのに1時間くらいかかったのではないだろうか。僕はデカいリュックを背負っていたのだが、これがずっと背中にあり、ヘタをすると半歩ずつ前に進み立ち止まるという苦行は辛かった。考えれば足元に下ろせばよかったのに、なぜか最後まで背負っていたのだった。これと新千歳空港までのバスが補助席だったことと合わせ、腰痛も抱えてしまった。サイテーだ。それでも、よせばいいのに受付終了後いくつかの会場内のブースをまわり、東京マラソン記念品的な無料のグッズなどをいただいたりしてしまい、腰痛をより確実なものとしたのであった。バカ。

 

f:id:navi1954:20180226213732j:plainf:id:navi1954:20180226213901j:plain

 

慣れない東京での移動に大活躍したのはSUICAだ。数年前に長男からもらった東京駅100年記念のデザインSUICA。東京での鉄道のほとんどがこれで乗れる。乗り換えを含めて、乗りたい路線と駅を間違えなければきっぷを買う手間もないし小銭を用意しなくてもいい。

そんなわけで、無事に長男のマンションに着いた。夕飯は当然だが炭水化物を摂取した。鍋焼き餅入りうどんである。ビールも1杯だけ。

明朝の食べ物をコンビニで調達し、ゼッケンをウェアにつけてランの準備をすると、もう10時近かった。すでにヘロヘロの僕が布団の中の人になったのは間もなくであった。

 

6時前にセットしたアラームで目をさまし、準備をしているとあっという間に時間がせまり、長男に礼を言って出発した。

品川駅で乗り換え新宿駅へ。そこからはほかのランナーの後をついていけば会場まではいける。ただしそこからはカオスである。僕が方向音痴であることがいちばん問題なんだけど、とにかく会場内は分かりにくい。案内板があるにはあるが、案内しなければならない対象者はなにしろ36,000人もいるので、僕をはじめ多くの人はウロウロしている。あちこちまた歩きすぎて、スタート前にすでに乳酸が溜まっているのはどうしたものか。

ま、それでもスタート時間はやってくる。9時10分にはちゃんと始まったのだった。

 

f:id:navi1954:20180226214018j:plainf:id:navi1954:20180226214531j:plain

f:id:navi1954:20180226214640j:plainf:id:navi1954:20180226214758j:plain

 

当然しばらくは歩くことになる。少しずつ走りはじめても、咳き込みたくはないので静かに走る。スタートラインでは、暖かそうなコートを着た都知事が壇上から手を振っていた。

26kmあたりでは応援してくれる人がいる。そこまではなんとか走っていたかったので、キロ6分半から7分くらい。しかしさすがに花の都・東京だ。沿道の応援はすごい。こんなにたくさんの応援は初めてというほどケタ違いの応援だった。公式の応援イベントもあるが、ランナーの知人・家族・一般の応援が熱い。

しかも僕の今回のウェアは、コンサドーレ札幌のレプリカだ。昨年予想以上の結果を出してJ1に残留したのだが、今年はペドロビッチ監督にかわりさらに上を目指すチームになった。そこで札幌から参加してるよと、アピールするためには何がいいかと考えて、札幌のレプリカユニホームを用意したのだった。コレがけっこう気づいて名指しで応援してくれる。大きく分けて「コンサドーレ頑張れー」と「白い恋人頑張れー」である。前者には「札幌頑張れ」「北海道頑張れ」「コンサ頑張れ」「コンサドーレ頑張れ」の違いがあり、後者は「白い恋人」が大半だが、なかには「面白い恋人頑張れー」もあった。

どっちが多いかなと数えていたが、途中で指が足りなくなり諦めた。しかし「白い恋人」が30回以上、「コンサドーレ」の声援が50回以上あった。とにかくサッカー、野球のレプリカ系も含めると、仮装のランナーがかなり多かった。僕の近くには赤白ボーダーのウォーリーもいて、この方は僕よりも多くの声援をもらっていた。「ウォーリー、見つけた~」か「ウォーリー、見っけー!」がほとんどだった。絵本はまだ人気があるのかな、小さい子どももけっこう叫んでいた。

 

f:id:navi1954:20180226215038j:plainf:id:navi1954:20180226215145j:plain

f:id:navi1954:20180226215340j:plainf:id:navi1954:20180226215519j:plain

 

26kmふきんでご主人と応援してくれたラン友は、スタッフジャンパーとほぼ同じイエローだったので見つけにくかったが、端を走っていたおかげで見つけてもらえた。レモンと勇気をもらい、記念写真を撮って残り16kmを目指した。しかしそこからはボロボロだった。いくつかの観光名所をバックに自撮りしたりしながら走った。東京在任中のラン友も僕の苦しそうな姿を激写してくれた。撮られてると意識してないから、もう死にそうな表情で走っている。ほかにも名指しで応援してくれた方もいてうれしく走れたのだが体がきつい。

コースは昨年よりもアップダウンが減り、さらに走りやすくなったようだし、天候もマラソンには程よいコンディションのはず。じっさい設楽選手は日本記録を更新してなんと1億円もらったという。だけど、僕はへろへろでゴールした。5時間39分。自分史上、ワーストであるのは間違いない。よりによって、なんと、東京で。

 

f:id:navi1954:20180226225709j:plain

 

フィニッシュ後はさらに辛かった。ドリンクやタオル、荷物などを受けとるのに延々と歩かされる。しかも寒い。今日の泊まりのホテルへ行くにも、コースをまたいでいるので地上からは行けず、地下道を通るしかない。そんなとこ歩いたことがない。やっぱり地上への出口、出てからの方向がよく分からず、かなり遠回りしてしまった。

チェックイン後、どう考えても打ち上げの会場に5時に行けないのが分かったので、先に遅れることを連絡して、大急ぎで風呂に入った。少しでも足と腰の痛みを減らしたくて、シャワーではなく風呂にしたのだが、けっきょく予定よりもさらに遅れて参加することになった。20人近くの参加があったが、相変わらずランナーの飲み会はあちこちで話が弾み賑やかだ。あっという間に酔い、お土産の菓子を残っていた方に分けて途中退席したのだった。もちろん僕のことだから、ホテルへの帰りもしっかり迷った。

それでも寝る前に簡単でもいいからとストレッチをしたのだが、寝落ちしそうになったので風邪をさらにこじらせる前に布団に入った。

 

f:id:navi1954:20180226220241j:plain

 

月曜日は休みをとっていたので、乃木坂の新国立美術館で「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」をみた。ほんとうは品川にある水族館も見てから帰ろうと思っていたのだが、時間がなくなってしまい諦めた。美術館で家人と自分へのいくつかの記念グッズを買い、空港でも土産を買い、さらに空弁(焼き鯖すし)も買い、今度はちゃんと飛行機内で食べた。

 

このブログの下書きをしていると、時間が経つのも早い。気がついたらもう新千歳空港だった。バスに乗り継いで自宅近くで降りて雪道を踏みしめると、文字どおり冬の札幌に帰った気がした。