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旅のラン せたな町 & 日本一参拝が危険な太田山神社

先日、仕事で道南のせたな町に行ってきたので、旅のランについて書いておきたい。
 
せたな町は、2005年に瀬棚郡瀬棚町と北檜山町、久遠郡大成町の3つの町が合併してできた。日本海に面した縦にながい町である。例によって一泊二日の出張だったから、時間をつくれた二日目の朝に走ってきた。
 
宿泊した北桧山地区にある旅館のおかみさんに、朝は何時から玄関があいているかを訊いたら、ずっとあいてるよとのこと。玄関はいつも閉めないらしい。地方によくある平和で寛容な町である。朝食は8時半までに食べ終わってほしいとリクエストがあったので、ランは6時半にスタートして約1時間走ることにした。念のため前夜のうちにアラームを設定しておいたが、やっぱりそれが鳴る前には目が覚めていた。
 
旅館の前の国道229号線を海の方向へと走った。瀬棚地区方面へ向かうもののこれといって写真に撮るものは少ない。2キロくらい走ると風力発電のプロペラ風車が並んで見えたので、それを写真におさめてUターンし、兜野橋をわたって後志利別川(しりべしとしべつがわ)の流れを眺めてきた。もどって今度は反対方向へ足を進め、昨夜入ったきたひやま温泉をまわってから宿に向かう。途中、町立北桧山小学校の生徒と思われるこどもが元気なあいさつを先にしてくれた。うれしい。走った距離はいつものように、時間に比べてみじかい6kmほどの旅のランとなった。
 

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 この日は、日本一参拝が危険な神社とも言われる太田山神社に登るのが予定に入っていたので、それについても記しておきたい。天気予報がはずれ雨模様となってしまったが、もしもすべって危険な状況であれば参拝を潔くあきらめ撤退することも想定していた。しかし登りはじめると、ヒヤヒヤしながらもけっきょく最後まで完登し参拝をしてきた。
 
道道に面した鳥居から天に向かって伸びる長ーい階段の平均斜度は45度、最大50度の傾斜。一段あたりの奥行は20cmほどなので足裏全部はのらない。なので、ここからすでに2本のロープが設置されているのである。登り切ると岩の多い狭い山道に入り、ロープがないときついし危険でもある登攀がつづく。
 
本殿までの中間点くらいに女人堂があり、そこの階段で小休憩してからさらに上を目指した。大雨ではないが、雨は降り続いている。途中、落石危険の看板もあるのだが、これは先を行く参拝者(登山者)や下ってくる者が、不本意ながら蹴り落としてしまう場合が多そうだ。じっさい僕もそんなに大きな石ではないが転がしてしまい下の人(同行者)に謝った。
ヘタリながらも、しばらくそういった登山道を登っていくと、やがて鉄や丈夫そうな網などで組まれた橋がある。橋とはいえ急坂だし、下を見ると冷や汗の出る高所だ。落ちたくない。生きて帰りたい。
 
橋を登り切ると狭い足場に7メートルくらいの崖があり、鉄の鎖とロープが数本垂れ下がっている。これを登りきると本殿があるのだが、ゆらゆらして安定感がない。数メートル登ったところで、これは無理では?と本気で諦めかけたのだが、その宙ぶらりんのところから降りるのもすでに難しい状況になっていた。仕方なく再び渾身の力で体を引き上げた。人間、必死になればなんとかなるものだ。ようやく登りきると、狭い洞窟の中に本殿があった。
 
半端ない達成感と汗に包まれながら眼下の日本海や絶景をしばし眺める。せっかく苦労してここまで来たのだから、すこしはゆっくりしたかったが、この後の予定もあるので名残惜しいが戻ることにした。お賽銭を投げ入れ、無事の下山をお願いして下界に向かうことにする。
とはいえ、下りもまた油断はできない。恐怖感を抑えつつ慎重に下った。後ろ向きに進むほうが降りやすい箇所が多い。もちろんロープは必須、手放せない。最後の石階段も気を緩めることなく下りきったとき、ほっとすると同時に地べたにしゃがみ込んでしまった。小雨は降り続いていたが、爽やかで晴れやかな気持ちに包まれていたのだった。
おしまい。