RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

2019年。痛かったこととか、嬉しかったこととか。

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年々、歳をとる。8月に65歳になったので、僕も正会員として高齢者の仲間入りをしたということだろう。ギブアップはしないけれど、残念ながらアタマもカラダもちょっとガタがきてるかなあと思うことは増えた。

 

アタマのほうは、記憶力の衰えが気になる。家庭内では、なにかを指摘されても「聞いてない」で済ませることが多いが、追加の説明をされると「そういえば聞いたか」となることもある。しかし向こうだって歳をとっているのだから「伝えたつもりだったが実は言ってなかった」こともあるはずだ。そこらへんは、労わりあわなければなあと思うのである。

仕事では「聞いてない」で済ませるわけにいかないので、忘れそうなこと忘れてはいけないことは、メモをとるなりTO DOリストを作成する。これは具体的に細かいところまで書かないといけない。かんたんな単語だけでは、あとで意味が分からないことが多々あるのだ。記憶の紐が綻びた糸のように細くなっているのである。

 

カラダのほうも深刻だ。

今のところ内臓系は大丈夫だが、足腰をはじめ骨・関節系がいけない。2004年くらいから、ときどき走ることが習慣になり今に至るのだけれど、膝の故障を何度もくりかえした。膝だけではなく、かかと、足首、すね、腿、股関節。そうやって下半身の不調を抱え、病院や整体、針治療などを施しながら、走れるときはずっと走ってきたが、ここ数年はギックリ腰に悩まされている。

 

今回も26日の朝に、ベッドのシーツを整えている際に発症した。なんでそんな作業でと思うかもしれないが、中腰での中途半端な姿勢ではそういうこともあるのだ。なんと昨年も御用お納めの前日、布団を敷いているときにやってしまい会社を休んでいる。けっきょく年末年始は一歩も外出できずに家で過ごしたのである。今回はすこし軽めだろうと思っているがどうなるか。もちろん発症いらい走ってはいない。歩くのもやっとなんだから走れるわけがない。今年は5月にも母を抱えて車椅子に移すときにギクッとやってしまった。もう持病的になっているので、ふだんの生活ではじゅうぶん気をつけているのだが、それでもやってしまうときはやってしまうのだ。

 

そういえば今年は1月下旬に左手小指の骨折もしていた。ランニング・イベントで走ったあとの飲み放題のような酒に深く酔ってしまい、帰宅後の布団にバターンと倒れこんだ際に折ったらしい。ポキッと折れたのではなくズレるような折れ方をしていたので、その際の痛みは深酒の中に紛れてしまったのかもしれない。詳細はわからない。折れているのを自覚したのは翌朝なのだから。整形外科で、とても難しい折れ方をしていると言われ、手の怪我の専門的な病院を紹介されたものの、けっきょく手術は断って添木固定による保存療法(?)とリハビリ療法を選択したから、小指はいまだ曲がったままで痛みもまだすこしある。

 

骨折から開催まで4週間もなかった2月の熊本城マラソンでは、完走はできたが固定ギプスをしたまま走ることになった。もしつまずいて転んだら大変なことになるなあと思いながら、修復中の熊本城を眺めて走ったことを思い出す。

 

8月の北海道マラソンは、5月下旬のギックリ腰の痛みがなんとか収まってから、そろりそろりとランニングを再開したので練習不足はあきらかだった。それでも完走できたのは、気温と湿度が例年になく低く走りやすかったからである。とはいえ、関門バーをこじ開けてのギリギリ完走なので大きなことはもちろん言えない。

 

ラン以外の話題では、グアムでの次男の結婚式(4月)が良かった。ハワイとかグアムとかには、まったく興味はなかったが、両家の家族が集まってのリゾート・ウェディングは素敵な思い出になった。次男と一緒に走ったグアムでの旅のランも忘れられない。

 

そして10月は、北海道コンサドーレ札幌が初めて決勝の舞台に立ったルヴァンカップさいたまスタジアムの熱闘は、いまだに血が湧き立つような興奮を呼び覚ます。東京で働いている長男を誘って一緒に観戦したが、カップ戦の歴史に残るあまりに激しく熱いゲームに二人で感動したものだ。You Tube などでその死闘を振り返るといまだにウルッとする。

 

ちなみにこのブログはいちおうランニング日記なので、今年のラン総走行距離も記しておく。1年で1072km、月平均は90kmにも満たなかった。ちょっと不本意だが、今日の日記を読めばたしょうは理解してもらえるだろうか。

 

そんなこんなで今年も大晦日。痛いことも苦しいこともあったが、嬉しいこと楽しいこともたくさんあった。来年もまたひとつ歳をとっていくわけだが、まずは腰を労わりつつ穏やかな一年を過ごしたいと思う。