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還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

骨が折れたんだけど – Road to 熊本城マラソン2019 – 2

骨折した。 

 

3週間後に熊本マラソン2019が開催だというのに骨折した。

 

左手小指付け根の関節が、ずれるように難しく骨折しているとレントゲン写真が物語っていた。骨まであらわに見せた手のセルフヌードを看護師さんに見られたので、ちょっと恥ずかしかったが、そんなことを言っている場合ではない。痛いのである。

 

3日前の土曜日にラン仲間との「うどんラン」(走ってうどんを食べて、また走って温泉に入ってから酒を飲む、という毎年恒例の冬のイベント)を楽しんだのだが、今回はちょっと飲みすぎて(2軒連続飲み放題みたいな酒)帰宅した僕はフラフラだったようだ。家人曰く、過去フラフラ帰宅3本の指に入る状態だったらしい。つまり真っすぐには歩けず、壁や棚に手をつきながら、最後は布団にばたーんとうつ伏せに倒れこんだというのである。僕が覚えていないので、嘘を言っているに違いないと思っていたが、あとから考えるとたぶんこのときに指を突いてしまったのだろう。

 

夜中に目が覚めたらひどく小指が痛かった。触ると腫れている。あー突き指か〜とガックリしたが、まだ酔っ払っていたので、小用のあとまたすぐに寝てしまった。シアワセなものである。ところが朝目覚めると、やっぱりまだ激しく痛い。これは医者に診てもらわねばと思ったが、残念ながら日曜日なので病院は休みだ。かといって整形外科の救急病院を探してでも行くほどではないか、と一日我慢したのだった。

 

翌朝一番で近所の病院へ行き、レントゲンを撮ると骨折が判明した。そう聞くと急に痛みが増すのはなんでだろう。しかし先に書いたように、小指付け根の関節がずれるように難しく骨折しているというので、手を専門にしている病院で診てもらったほうがいいと医者が言う。仕方がないので紹介された病院へ午後の予約を入れてもらった。

 

その病院では、治療方針として手術を積極的に勧められたが僕は断った。切られるのはイヤなのである。ギプスなどの固定治療を希望していたのだ。この状態の骨折で、固定治療での治癒後のデメリット(もとどおりにはならない可能性、変形で固まる可能性、小さな痛み・痺れが残る可能性があるなどなど)をたくさん言われたが断りとおした。たとえ指がすこし曲がってしまったとしても、きれいなグーが握れなくなっても、彼女と小指をじょうずに絡められなくなってもやむを得ない、と僕は考えたのだ。

 

固定治療ならどちらの病院で治療しますかと訊かれたので、自宅に近いもとの病院を指定し、今日そこで固定治療を施していただいた。これで3週間ほど固定する。そうよ。つまり熊本マラソンまでほぼ固定である。ちきしょー、グレてやる。

 

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来週中に経過観察としてレントゲンを撮り、様子をみることになった。お医者さんに熊本マラソンを3週間後に走るんです、軽いジョギングくらいなら走ってもいいですかと訴えたら困った顔をされてしまった。でも、ダメとは言わなかったぞ。2月17日までには、ちょっとくらいは走るんだ。

 

念のため痛みどめももらったし。

熊本城マラソン2019 — 血と涙の赤い坂

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熊本城は、慶長5年(1600年)加藤清正が築城した。寛永9年(1632年)には肥後54万石領主として細川忠利が入城。忠利は文武両道に励むよう家来に勧めており、足腰を鍛えるべく長距離を走らせることも奨励していた。しかも、ある日殿様は天守から領地を眺めているうち、どうせ走るなら競い合わせたほうがより鍛錬になるんじゃなか? と熊本弁で思いついてしまった。城門を出発地点とし、領地を10里ほど(40粁弱)走って城に戻る。沿道には幟が立ち並び、百姓には給水と給食を担わせることにした。経路は坂もある過酷なものとし、刻限までに城門へ戻れなかった者は切腹。最後の二の丸への急坂は、鍛練不足の武士(もののふ)の血で染まり妻子の涙で濡れた。これがこれまで歴史の陰に隠れてきた熊本城マラソンの事始めである。
平成24年に再開された本大会は今回で8回目になる。

 

・・・血に染まっただけに、ほとんど真っ赤な嘘である。

 

熊本城マラソン2019まであと一カ月となった。
暦を3週間ほどさかのぼるが、師走も押し迫った26日夜、布団を敷こうとしたときだった。寝間の空気を切り裂くように、僕の腰に電気が走った。あーっと手をやったが遅かった。すでに僕の神経は侵されていた。まずいと思いながらも、一縷の望みを抱いて歯も磨かずに、そのまま唸りながら静かに布団に入ったのだった。

 

しかし希望の朝はやってこなかった。この日から腰痛ベルトなしには過ごせなくなった。そもそもそれを巻いても5センチくらいずつしか歩けない。しかも何かにつかまりながらだ。この状態ではさすがに会社へは行けない。27、28日と会社を休んだ。仕事納めもあいさつも掃除もなしだ。ひたすら回復に努めたが、年齢とともにこういった症状の治りが悪くなっている。年が明けても家でおとなしくしているしかない。とうぜんランニングなんかできるワケがない。例年なら年末年始だけでも数十キロは走っているのに。

 

家にこもって酒を飲んで餅やおせちを食っていれば太る。6日には思いきって体重計にのってみた。2kgほど増えている。7日が仕事始めだったので、腰痛ベルトの助けを借りてなんとか出社はした。もちろんまだ走れない。8日には、ここ数ヶ月ずっと右ひじとスジが痛かったので整形外科受を受診した。なぜかテニス肘とゴルフ肘と診断されたが、ようするにパソコン作業のやりすぎだろう。べつに特効薬はないので湿布をもらい、エルボーサポーターを買った。腕に巻くベルトだ。腰も腕もベルトに支えられて生きる僕なのである。


ようやくランを再開したのは9日夜である。札幌ドームのナイトランで10周・7.2kmを超スロージョグした。その後は土・日にそろりそろり14km、7kmと雪道ランをおこなった。


そんなワケで、熊本城マラソン2019まであと一カ月しかない。たしょうは歩いてしまうかもしれないが、フルを完走できるところまでは復活したい。5時間をきるのは難しいだろうが、熊本城マラソンは制限刻限は7時間あるのだ。僕だって命は惜しい。

切腹は御免だ。

旅のラン、豊頃町の朝はつめたい

12月6日の旅のランを記録しておこう。今回は道東への出張にて、豊頃町を走った。

 

宿泊は、街で唯一あるいは数少ない(?)宿泊施設、豊頃ロイヤルホテル。丘の上にある。ホテルといっても、夏などは部活等の合宿にも利用されるところなので、リーズナブルであり、部屋にはトイレも風呂もない。つまりそういうところである。ま、仕事で来てるわけだし贅沢を言ってはいけない

 

しかし、ふつうの食事ができて大浴場もゆっくり入れるし、缶ビールの販売機もあるわけだし問題ない。

 朝は明るくなるのが遅いし、仕事始まりも遅めの設定になっていたので、朝食を食べてから走ることにしていた。

先に書いたとおり丘の上にあるホテルなので、車で上がってきた道を下って市街地方面を走ろうかなと思っていたが、フロントの方がグルーっと回れるよと教えてくれた。ホテルを中心として丘を上って下って周回できるのだ。合宿するチームもランニングに利用しているとか。

 

例によって写真を撮ったり、ウロウロしたり戻ったりとしながらゆっくりと走るので距離は稼げそうにない。天気はすこぶるいいし、気温もさほど下がってない。つまり気持ちいいランだった。

 

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ホテルの目の前は茂岩山自然公園で、キャンプ場がありバンガローもたくさん並んでいる。走り出しはじめはゆるゆるくねくね、まちを見おろしながら下りがつづく。市街地に出ると平坦だが、ホテルへの道に入ると激しい上り。この周回コース上にはりっぱな体育館や野球場があり、える夢館という図書館や郷土資料館のある施設、町役場などもある。さらに消防署、郵便局、くわえて飲食店もろもろも。つまりなにかと便利なランニングコースなのである。だからといって僕が朝はやくに用のあるところはないが。

 

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ところで、例によって写真を撮ったり寄り道したりしていると、急にスマホがブラックアウトした。あー、スマホが冷えすぎたんだなとすぐに気づいた。まったく学習能力がない。またやってしまった・・・。

 

旅のラン豊頃町・茂岩山自然公園キャンプ場付近と市街地を周遊にて4.6km。

昼に食べた豊頃名物・豚チャーハン。

 

旅のラン、熊の湯へは行けないよ

旅のラン。今回は八雲町熊石を走ってきた。

 

熊石は平成の大合併で八雲町になった町。噴火湾側の八雲地区と日本海側の熊石地区でニ海郡(ふたみぐん)八雲町となる。今回の仕事はその二つの地区にまたがったのだが、泊まりは熊石のひらたない荘にした。

出張の際、仕事に支障のない範囲でランニングも楽しむのが僕の旅ランだ。今回もとくに無理なく、その時間を確保した。

 

朝5時過ぎに宿を出て海のほうへ坂をくねくねと下っていくと、町の歴史記念館や青少年旅行村などがあり、いちおう寄り道しながらゆっくり走る。基本的に僕の旅ランは散歩に近いがそれでいいのだ。

 

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熊石歴史記念館/青少年旅行村


海沿いの道へ出ると右に走った。下調べをしてから宿を出てきたわけではないが、たぶん港のある方向だ。じっさい少し走ると、港から海へ出るあたりの目印となる小さめの灯台が二基見えた。雲は多いが今日は晴れの予報が出ている。

 

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海洋深層水交流館/熊石漁港

 

家の前を掃除していたおばあちゃんと朝の挨拶を交わす。津波の際の避難用と思われる高台への梯子や階段がいたるところにある。漁具屋さんはもう営業しているように見える。熊石海洋深層水の施設もあった。港では数人が釣りをしていた。

ここまで3.5km、今日の行動予定からすると引きかえす時間である。帰る途中に山門がありちょっと寄ってみた。道南霊場門昌庵の札もある。(門昌庵事件

 

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門昌庵/熊の湯閉鎖中

 

来た道を戻って坂を上り、宿の前も通り過ぎると「熊の湯」へ行けるはずだった。ところが先日の台風の影響でか、樹木の倒壊か道の損壊、あるいはその両方か分からないが閉鎖になっていた。残念だが大人の常識人である僕は、そのゲートを突破する勇気いや無茶、蛮行はできなかった。ま、当然だが残念だ。熊の湯でクマとの混浴を目論んでいた僕なのに。

 

宿に戻って昨日から3回めとなる温泉に入り、旅のラン7kmを終了した。

熊本城マラソン 抽選結果のお知らせ

どうせ当たらんだろと気楽に申し込み、忘れて待つのがきっといいのかもしれない。

東京マラソン2018」もそうだった。

8月に申し込んでいた「熊本城マラソン2019」の抽選結果がメールで届いたのは9月12日である。タイトルが「抽選結果のお知らせ」だったので、あ、やっぱり外れたか……がはじめの感想だ。いちおう「初挑戦枠」で申し込んだから、たしょうは確率がいいだろうと思ったのだがダメだったかと、がっかり気味にメールを開いたら当選のお知らせだったのでちょっと驚いた。見出しに「当選」の文字はなく、それが表示されるには数行読み進めなければならなかったのだ。

 

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ホームページでは、この枠の申込者数が定員3,000人を超えたので抽選になりますとのアナウンスが8月7日にあり、9日には同じくフルマラソンの申込者数も定員の13,000人超えになり抽選が決定したとある。昨年並みの倍率なら3倍未満だから、東京マラソンの12倍に比べればはるかに当選しやすいのは間違いないが、それでも抽選になれば当選と落選にわかれるわけだから悲喜こもごもは同じである。

 

ところで、じつをいうと2月27日のブログ(冥土のみやげか? 東京マラソン)では、東京は1回走ればもうじゅうぶんだ的に偉そうな感想を書いたのだけど、それをくつがえして東京マラソンも申込だけはしていることを告白しなければならない。確率的には連続で当たるはずがないものの、当たったら面白いなと思っているが、かといって残念ながら2月17日の熊本と3月3日の東京を両方走る脚と金とヒマは僕にはない。二つを比べると、やはり一度走った東京よりも初めての熊本を走りたいのは自明なので、もちろん熊本を走ることにした。

熊本が落選して東京が奇跡的にまた当選したら恥ずかしげもなく東京、ということもあったが熊本が当選したのでそれはなくなった。

 

参加する場合は、東京の当落発表前に入金しなければならないので忘れないうちに入金した。行きは土曜日だけど帰りは何曜日にするか決めてないのでとりあえず往路の飛行機だけは確保した。ホテルも土曜と日曜をまずおさえた。あとは九州なんてそもそも滅多に行けないし、熊本(2016熊本地震)も北海道(2018胆振東部地震)も奇しくも大きな地震被害による復興を目指しているので、まずは僕のプラスアルファの熊本観光でさらに協力したいと思う。もちろん地元北海道のことも忘れないけど。

 

次の大会が決まらなくて、日々のランニングもただ緩々とたまに走ってるだけだったが、いちおう目標ができてすこしはしゃっきとするだろうか。

 

というわけで、今日は10km走ってきた。

2018小樽運河ロードレースと旅のラン十勝清水のこと

もう一週間も経ってしまったが、17日の日曜日に今年も小樽運河ロードレースを走ってきた。

 

「せめて切りたや2時間を」のささやかな目標は叶わなかった。昨年とほぼ変わらない記録だった。          

それもあり、コレについての記事はなしにと思ったが、ゴール後の風呂と昼食の店まで車に乗せてくれた某鍼灸師女子に大感謝の気持ちを捧げたい。昼は餃子の「青い稲妻」…(違うと思う、きっと違う)という店で食べようという話になったが、あまりの超満員で諦めた。だがけっきょく餃子は諦めきれず、手稲の王将でお安く済ませた。酒飲みの運転手に微塵も遠慮せずにビールまでいただいてしまった。初対面の方なのに。申し訳ない気持ちがいっぱいである。(ホントか?)

 

2時間半という緩い目標を達成した某一級建築士女子は、財布を落としてスーパー銭湯の館内放送でフルネームを連呼されてしまい、穴があったら入りたいといったところだが、風呂にはちゃんと入ったようだ。地下鉄宮の沢駅まで送ってもらった後は、チカホから入っていける英国パブみたいなところで、それぞれの反省会を二人で手短におこない、速やかに帰宅したのであった。 

 

木曜日には泊まりの出張があり、金曜の朝に旅のランをした。

 

北海道内の出張はたまにある。泊まりで走る時間を確保できそうなときは、ランニングウェアを持っていく。今回は道東で帯広周辺の仕事をして十勝清水に宿泊した。夕食の提供のない小さなビジネスホテル(といっても部屋数はひとケタ)だったので、小雨の中を同行者と食事ができそうな店を探しに出た。傘も借りずにホテルを出てきたから、はじめに目に入った店に入ったのだが、2階で団体の宴会が始まるので食べ物の提供には時間がかかりますと言われる。

 

ま、地元のお得意様は大事であり、しかも団体は大切にしないとね。明らかに余所者の僕らは二の次三の次。仕方ないので、いちおう何品か注文して、とりあえずビールや焼酎を飲みひたすら待つ。基本的に食事をしにきたのだが、炭水化物はなぜか寿司とおにぎりしかない。気分としてはどっちもとくに食べたくない。ようやく出てきた焼き鳥などを食べて店を後にした。

 

が、腹は減っている。近くのコープに寄り、なぜか食指が動いた醤油カップラーメンや、なぜか食べたくなったポッキーを購入し部屋へと戻った。湯を沸かして3分待ち、さあ食べようとしたとき、なんと箸がないことに気づいた。だが、たまたまラッキーな(?)ことにポッキーを買っていたので、2本使えば食えないことはない。はず。と思う。

しかし賢明で知的な僕はそれを思いとどまった。ホテルの奥さんから割り箸をもらってきたのである。とはいえ、そうこうしているうちにカップ麺はすっかりのびてしまった。ふやけたラーメンはイマイチだが腹は減っている。テレビでワールドカップ・ロシア大会の放送を見ながら、これもコープで買ったカップ焼酎を飲みきった頃には、うとうとして寝てしまったのだった。

 

朝は爽やかに5時前に目が覚めた。だが、準備をしてホテルの玄関を出ようとしたらロックされている。どこかに解除のボタンがないかなと探したがなかった。かといって、まだ寝ているかもしれない奥さんを朝ジョグのために起こすのも憚られる。大人な僕は自重した。

 

いったん部屋に戻ってテレビで時間を潰してから出直し、5時半過ぎに玄関を出た。朝食は7時なのでそんなに時間はないが、旅先のランは散歩に近いものだから、距離を稼ぐ必要はない。ホテルの近くに、池のある清水公園があるので、そこらへんを走りつつも、清水町のみなさんの住宅や庭など住宅街の様子も眺めながら走った。その土地その土地の暮らしぶりを想像しながら走るのは、なぜか頰が緩むのである。しあわせな気分で走り終えた僕が、その日の仕事も絶好調でやり遂げたのは言うまでもない。ホントか?

 

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根室本線十勝清水駅近くの跨線橋から

 

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清水公園、鏡のように静かで美しい池でした

 

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▲旨い蕎麦屋さん、目分料(量じゃない)は小さな子供お断り

 

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▲清水町図書館は地面にすっかり埋もれている

 

ちなみに清水町は、ベートーベンの交響曲第9番(第九)を全国町村で初めて合唱した事から「第九の町」としても知られる。十勝牛たまステーキ丼は、「新・ご当地グルメグランプリ北海道」の殿堂入りを果たしたご当地丼。酪農も盛んで、ホクレンの製糖工場や日本甜菜糖の工場もある甘~い街でもある。

東京マラソン2018 – 冥土のみやげか? 

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東京マラソン2018。そういえば、昨日のブログで完走メダルと参加Tシャツを自慢するのを忘れていたので写真を載せておこう。ま、どんなに遅くても制限時間内(7時間!)ならメダルはもらえるんだけどね。

 

参加人数が36,000人とあまりにも多いので、運営的にいろいろ不満もないではないのだが、それでもさすが東京マラソンといった、いいね!なことも多い。もちろんエイド等のボランティアにもものすごくお世話になったし。大会ロゴマーク等に使用されているデザインも素敵だ。完走タオルや参加Tシャツ、計測チップ、東京メトロ24時間乗車カードなどその他あらゆるグッズにあしらわれている。

 

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左のカードは3年前に長男からもらった東京駅100年記念SUICA。ほとんどの鉄道に乗れるので、東京での移動にはものすごく大活躍した。右上の計測チップは回収されないので持ち帰れる。右下はランナーがもらえる東京メトロ24時間乗車カード。美術館へ移動するのにたすかった。

腕に巻いているのはセキュリティ・リストバンド。参加ランナーは大会期間中ずっと腕につけていた。つまり会場内の必要以上にさえ感じる厳重なセキュリティは、どこまでもテロ対策的なことなんだろうなと感じた大会だった。

 

しかし水を差すようだが、僕はもうこの大会は出ない。というよりも申し込まない。1回でじゅうぶんかな。それは突き詰めると、参加人数が多すぎることに尽きると思う。受付にしろゴール後にしろ、ビッグな大会すぎて、しかもテロ対策もしなくてはならないので参加者にはストレスが多すぎる。

でも、それでもやっぱり1回は走ってよかったとは思う。雨あられのように降りそそぐ感動的な声援は忘れられない。冥土の土産にはちと早いんだけどね。