RUNだむ日記+plus!

還暦過ぎて腰も痛いので、よろよろ走ってます! RUNだむ日記【Returns!】もあります。

北海道マラソン2019/おでこは関門バーを超えていた

25日の日曜日は北海道マラソンだった。
 
その朝、食事をしていたら右奥の銀歯がとれた。最近違和感があったので、そろそろ外れるかなとは思っていたが、よりによって大事なレースの朝にとれなくてもいいじゃないかと気持が沈んだが「ま、ほんの僅かだが体が軽くなるんだから」と、舌先で穴のあいた箇所をさぐりながら、ポジティブシンキングにきりかえた。
 
会場にはウォーミングアップするようなスペースはない。早くに家を出ても時間を余すので、ゆっくりめに自宅を出発した。すでに霧雨は降っている。地下鉄に乗ると、始発駅だから座れたのもあり、「地下鉄なう」とか、あいかわらずノー天気にTwitterで呟こうとしたら、なぜかポケットにスマホがないではないか。リュックの隅々まで探したがない。いちおう座席でさりげなく尻や股間の下あたりに手をいれて、もぞもぞまさぐってみたが、やっぱりそこにもない。うむ。まさか歩いているときに落としたとも思えないので、自宅に忘れてきたようである。ポジティブシンキングの僕はまた考えた。「ま、これでさらにレース中の体が軽くなるではないか」。銀歯とスマホがないぶん、完走確率が0.1%はあがったのである。
 
会場では数人の知り合いランナーに会ったが、それぞれ自分の所定ブロック(2年以内程度のフルマラソンベストタイムによる振り分け)があり、大通の丁目ごとに分かれている。なので知り合いだからといって同じブロックでレース前の準備ができるとは限らない。行動も別々になる。僕は大通西7丁目だった。芝は雨で濡れているのでベンチに座りたい。ほとんどが埋まっていたが、僅かなスペースを見つけて図々しく割り込み、着替えなどの準備をすませた。雨は降りつづいているが、かんたんにストレッチをし、荷物を預けスタートブロックには8時30分に並んだ。
 

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ウェアはどちらにするか迷ったが左にした。完走した2012年の道マラ参加賞Tシャツである。ちなみに文字は少し隠れているが、RUN FOR FUN である。
 
スタートのあいさつと号砲は、若い鈴木北海道新知事だった。前日の天気予報では、気温は最高で21℃と低く、風は4mくらいでけっこうありそうだったが、朝になってからはなぜかまったく気にしていなかった。雨が降ることも知らなかった。だから合羽も荷物にいれてない。風が強すぎるのは完走にマイナス要素と言えなくもないが、少なくとも向かい風を耐えれば追い風はランナーを助けてくれる。小降りとはいえ前半の大半が雨だったのはちょっと意外だったが、おかげで毎年のようにランナーを苦しめる新川通の往路だけでも疲労を抑えることができた。折返し後は日差しが出てきて暑くなってはきたが、追い風がカラダとキモチを軽くしてくれる。とはいえ、30kmあたりからは徐々にペースが落ちてきた。が、僕にしては粘った。北大構内では数人の走友が毎年恒例のコーラエイドを開いてくれている。僕自身も2015年の道マラ引退後(2014年の道マラが僕の誕生日だったので、赤い「本日還暦Tシャツ」を特注して走ったが40km関門にひっかかった。翌2015年リベンジしようとしたが、腰痛だったので予定どおり12kmでリタイアしたのを最後に引退。しかし今年血迷ってエントリーしてしまう)は、そこで一緒にランナーを応援していたのである。なんとかそこまでは辿り着きたい。できればその先の関門制限時間に余裕を残して。
 
10日前(8/15)の記事に「北海道マラソン2019 惨敗した場合のエクスキューズ」という言い訳を先に書いておいた。完走できそうもない要素がたくさんあったので、限りなく無理かもしれないが頑張る、という内容だ。
完走できなくても「頑張りさえすれば」オーケーなので楽な気持で走れる、と消極的ではあるが自分に暗示をかけたのである。
 だから予想どおりの展開とはいえるものの、理想のプランよりもちょっと落ちすぎた。だが北大コーラエイドをひたすらに目指した。そこまで行ければ関門にも間に合うような気がしていたのだ。エイドでは何人かは僕を待っていてくれた。いや僕だけを待っていた訳ではないが、手を振って飛びあがって迎えてくれた。ありがたい。持つべきは友や知り合いである。そして慌ててコーラを一杯ごちそうになり、すぐに40km関門を目指してダッシュした。
 
40km関門手前では沿道のひとや係員から、閉鎖が間近であることを知らされ一所懸命に走った。ここをクリアしなければ、初めて時計のベルトに関門時間メモを貼付して臨んだことも意味がなくなり、ひそかに連日、腹筋・背筋・スクワットを欠かさず実行した努力も、ウェストポーチに禁断のエネルギーゼリーを隠してきたことも、この一週間アルコールを抜いた(じつはものすごく久し振りにフルマラソン前に一滴も飲まなかった)苦労も、なんちゃってカーボやなんちゃってウオーターローディングもすべてが文字どおり水泡に帰す。せっかく銀歯もスマホも置いてきた(?)のに無駄になるではないか。
 

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なので一所懸命に走った走った走った。たぶんその数十メートルはキロ6分は切っているはずだ。が、なんと、まさに、ちょうど僕の腹に当たって40km関門バーは左右からちょうど閉じられた。しかし、おでこは関門バーを超えていたと必死の形相で係員に主張する(競馬か?)と、バーとバーの間が緩んで少し開いた。そこを逃さず体を横にして通過する。
 
とりあえずほっとして歩いていると、自転車の若者が「まだこの先の道庁に関門がありますよ。まだ間に合います」と教えてくれる。もちろんその41.6km関門は知ってはいたが、まわりのランナーの多くが歩いていたのでつい気が緩んでいたのだと思う。すぐに走り出した。とはいえ40km関門から41.6km関門の間は、15分で走ればいいのでペース的にはキロ9分以上でも間に合う。ゆっくりでもいいのだ。大通で右に曲がると完走のウィニングランだ。初めてのフルマラソン完走(2005年洞爺湖ラソンで4時間18分32秒。割と速かったことに驚くが、14年前50歳のときだ!)に匹敵する感慨深いゴールであった。
 
記録は5時間7分12秒(ネットは4時間57分56秒)。
 
ゴール後、よたよたとメダルや完走証を受けとったが、あとで記録証をみるとなんと40km通過時刻は記録されていなかった。これは、つまり、やっぱり、正式には関門不通過? 電子的システムにおいては自動的に記録されるタイムなのかもしれない。だが、しかし、でも。フィニッシュの記録は厳然として存在している。人生において過程はさほどモンダイではない。結果がすべてなのである(一部不適切な発言がある)。グレーゾーンやファジーな部分はどこにでもあるものだ。
 

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40kmの記録が空白であるが、ここは関門閉鎖時刻と同じなので4時間50分である。

荷物受け取り場所には家人が来ていた。応援の予定もなかったのでまさかそこにいるとは夢にも思っていなかったが、スマホを届けに来てくれていた。この後、レースの打ち上げもあり遅くなるかもしれないのであったほうがいいだろうということだった。完走したことにはものすごく驚いていた。
 
今年の完走率は84.5%だったそうだ。ここ10年で2番目の高完走率である。おかげで僕も完走することができたと言っていい。
次は、抽選に当たれば京都マラソンである。
(おしまい)